甲子園への「貸し」を取り戻そう――選抜大会中止、高校野球のかなしい日

[ 2020年3月11日 21:01 ]

選抜臨時運営委員会が始まったころの甲子園球場(11日午後3時14分撮影)
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 【内田雅也の広角追球】春の陽光に照らされ、黒土が輝いていた。美しく整地を終えた阪神園芸のグラウンドキーパーたちが一塁側ベンチでひと休みしていた。

 11日、「重大な決断」だと耳にしていた記者会見を前に、甲子園球場に立ち寄った。午後3時すぎ、第92回選抜高校野球大会の開催可否を話し合う臨時運営委員会が始まったころだった。

 会議では新型コロナウイルス感染拡大を受け、大会の中止を決めた。午後6時から大阪・梅田の毎日新聞社オーバルホールで会見した大会会長(毎日新聞社社長)・丸山昌宏は「選手が安心してプレーできる状況を担保できない。苦渋の決断だった」と説明した。

 1924(大正13)年に創設された選抜大会が戦争による中断(1942―46年)を除き、予定していた大会を中止するのは初めてだった。関東大震災の翌年に始まり、阪神淡路大震災(1995年)や東日本大震災(2011年)でも復興をテーマに開催してきた歴史がある。

 戦後「白球飛び交うところに平和あり」が合言葉だった。「春はセンバツから」の惹句(じゃっく)がむなしい。出場を決めていた32校の球児たちに歓喜の球春は訪れない。高校野球のかなしい日となった。

 この日、甲子園球場で見た陽光も青空も黒土も緑の芝も……夢の舞台を目前に控えていた。開幕(19日予定)まで残り8日という時点で夢の舞台は消えてしまった。

 高校野球を愛した阿久悠がスポニチ本紙に連載した『甲子園の詩』で、1988年夏、8回途中降雨コールドで敗れた高田高(岩手)の選手たちに向けて書いた。

 <高田高の諸君/きみたちは/甲子園に一イニングの貸しがある/そして/青空と太陽の貸しもある>

 今大会に出場予定だったセンバツ球児たちは甲子園に貸しができたことになる。

 大会本部は何らかの救済措置を検討している。ウイルス禍が収まれば、甲子園球場に招待するなど、出場校の要望も聞きながら考えていく。

 夢が消えた彼らの胸の痛みはいかほどか。1941(昭和16)年7月、戦局悪化で夏の甲子園大会(全国中等学校優勝野球大会=今の全国高校野球選手権大会)の予選を前に中止となった。全国大会3連覇に挑むはずだった海草中(現向陽高)の様子が結踏一朗(毎日新聞・長岡民男)の『わかれは真ん中高め』(ベースボール・マガジン社)にある。校内同窓会館で合宿中に知らされた。<誰もかれも、合宿の畳をゲンコツでたたいてくやしがった。夕食の箸をとろうとする者は、一人もいなかった>。

 打倒海草の1番手とみられた滝川中(現滝川第二)の青田昇(後に巨人)は<僕らの失望落胆は言うまでもない。「このまま野球を続けていて、一体どうなっていくんやろ」不安が胸中を去来した>と著書『ジャジャ馬一代』(ザ・マサダ)に記している。翌春、退学し、<死ぬまで好きな野球を思うさまやってやろう>と巨人入りする。

 ただし、今回の大会中止は、戦争で明日の見えないような状況とは違う。球児たちは甲子園への「貸し」を、この先いくらも取り戻すことができるではないか。

 「高校野球は教育の一環」という「原点」を繰り返した日本高校野球連盟(高野連)会長・八田英二は「選手には苦渋の決断をしたということをご理解いただきたい。厳しい決断があるということをわかっていただくことも、人格形成の一環と思います」と話した。

 長い人生である。このかなしく、悔しい今は考えられないかもしれない。しかし、この日の経験を生かしてほしいと強く願う。

 興南高(沖縄)監督・我喜屋優の言葉を思い出す。<たとえ甲子園で優勝できたとしても、それは一瞬の輝きでしかない>と著書『逆境を生き抜く力』(WAVE出版)に書いている。<それよりも部活動を通して何を学んだか、学んだことを次のステージでどう活(い)かせるかのほうが、よほど大事なのだ>。

 甲子園ばかりが人生ではない。慰めにはならないだろうが、甲子園に出た、出なかったなど、人生から見れば、小さなことだ。野球を通じ、日々の練習を通じて、自らの人格を磨き、どう豊かな人生を送っていくのか。そこに甲子園の心はある。涙が乾けば、「貸し」を取り戻しに立ちあがってほしい。=敬称略=(編集委員)

 ◆内田 雅也(うちた・まさや) 1963(昭和38)年2月、和歌山市生まれ。桐蔭高(旧制和歌山中)野球部時代は帰宅すると日付が変わっていたことも幾度かあった。猛練習もむなしく、甲子園ははるかに遠かった。入社後、研修明けの85年8月1日、高校野球甲子園練習でグラウンドに入った時は足が震えた。阪神を追うコラム『内田雅也の追球』は今季14年目を迎えた。

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