内田雅也が行く 猛虎の地(15)新甲子園商店街・大力食堂 江夏も田淵も…新入団の若虎に“カツ”

[ 2019年12月23日 08:00 ]

昭和の雰囲気残る新甲子園商店街にある大力食堂
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 【(15)大力食堂(新甲子園商店街)】

 大力食堂は甲子園球場の裏手、昭和の雰囲気も残る新甲子園商店街にある。1966(昭和41)年3月1日創業、54年目を迎えている老舗だ。

 超の付く大盛のカツ丼(正式にはカツ丼大)は丼からあふれんばかりに盛られていた。米2・5合に特製のタレにカツ。通常の店の3倍ほどで800円と安かった。そんな名物を今春、販売中止にして話題となった。テレビのワイドショーでも取り上げられた。
 数年前から「大」を頼んでは半分以上残して帰る客が相次ぐようになった。「インスタ映え」などSNS用にスマホで写真を撮っていた。

 「情けのうなってな」と店主の藤坂悦夫(81)は言った。「残った分は捨てるしかない。もったいないやろ。お米がかわいそうに思うてな」

 出身は兵庫県養父郡八鹿町(現養父市)。農家だった。少年時代、ヒルにかまれながら、田植えし、稲刈りを手伝った。米への愛情も育った。

 毎朝7時に店に出て仕込む。洗米機は「米の金色の養分が飛んでしまう」と使わず、1日90キロを手洗いする。カツは80~100枚揚げる。開店は朝9時で夜10時まで。定休日はない。「よっぽどのことがない限り休まんよ。毎日店に出るのが楽しいんやから」

 生家を出て、神戸・元町のちから餅総本店で修業した。神戸灘生協(コープこうべ)本部でも働いた。元町時代に会計係をしていた女性と「帳簿の付けられる人がいい」と結婚し、「たくさん人が集まる球場の近くだから」と甲子園に店を出した。27歳だった。

 「周囲は畑や空き地でね。食べ物屋もあまりなかったから」繁盛した。運動部員がやって来た。どんどん大盛にしていった。当初はカツ丼300円で売った。「選手らに腹いっぱい食べさせ喜ばせてやりたかった。もうけは二の次やった」

 阪神の選手たちもやって来た。創業の年の秋には江夏豊が入団、すぐに店に来た。田淵幸一も来た。「新しい選手が入団してくると先輩が連れてくる。カツに勝つをかけて縁起をかついでいた」

 先輩とは吉田義男や三宅秀史を指している。ある時、三宅に誘われて、甲子園球場内でキャッチボールしたこともある。「子どものころ、よく野球して遊んだからな。楽しかったよ」

 店内の壁は阪神選手や各運動部員、タレントなどのサイン色紙で埋め尽くされ、天井にも貼ってある。「昔来てくれていたお客さんが孫を連れてまた来てくれる。こんなうれしいことはないよ」
 常連客の医師が検査すると「いたって健康」。ホテルでコック長をする跡取り息子が継ぐのは、まだ先になりそうだ。=敬称略=(編集委員)

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