巨人・鍬原“斎藤2世”へサイドスロー挑戦 2年わずか1勝右腕に原監督「代わり映えがしないと感じた」

[ 2019年11月10日 05:30 ]

サイドスロー出投げる鍬原。後方左から宮本コーチ、三沢コーチ、原監督(撮影・森沢裕)
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 巨人・原監督が大なたを振るった。宮崎秋季キャンプのブルペン。本格派右腕の鍬原が70球を投じると、指示したのはサイドスロー転向だった。

 「代わり映えがしないと感じたから。もともと腕の振りは勢いがある。固定観念が一番いけない」。17年ドラフト1位で入団後2年間で1勝。今季は中継ぎ15試合で防御率4・74にとどまり、指揮官が改造に着手した。

 そこから50球。上手から徐々に腕を下げ、最終的に90度軌道が変わった。ばらついていた制球は安定し、球威は増していく。打者に目線を読まれないよう帽子を深くかぶること、捕手ミットから一度目を切って大胆に投げ込むことも指導。「鎖で縛られているところから解放されて“パーン”というケースはある」という指揮官の考えだ。

 82年入団の斎藤雅樹氏は1年目の83年、当時の藤田監督の助言で横手に転向して才能を開花させた。鍬原は小学4年から中学卒業まで6年間はサイドスロー。「びっくりしました。懐かしい感覚だった」と、斎藤氏を目指すことを首脳陣に宣言したという。武器のシンカーを含めた全球種に、持ち球にないカットボールも試投した。

 「2年間1軍で結果が出ていないので、変えてみたい」と鍬原。先発再転向の可能性も視野に入れる原監督は「うちにいないタイプだから楽しみ。名前も変えるか、鍬畑に」と「実りの秋」を連想させた。(神田 佑)

 《通算180勝“ミスター完投”》▼斎藤雅樹のサイドスロー転向 82年ドラフト1位で巨人入りし、プロ1年目の83年5月に当時の藤田元司監督の助言で横手投げに転向。多摩川グラウンドでの2軍練習中、視察に訪れた指揮官から「ちょっと腕を下げてみろ」と勧められた。才能が開花した85年にチーム最多12勝。89年には11試合連続完投勝利のプロ野球記録を達成。翌90年まで2年連続20勝をマークするなど、プロ19年間で通算180勝を挙げた。

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2019年11月10日のニュース