巨人ドラ1鍬原 日本の原点・橿原で原点回帰「まずは開幕1軍」

[ 2017年12月18日 05:30 ]

橿原磯城シニアの選手から花束を贈られた巨人のドラフト1位・鍬原と母・佐代子さん 
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 「日本の原点」で原点回帰だ。巨人のドラフト1位・鍬原拓也投手(中大=21)が17日、出身の橿原磯城(しき)シニア主催の入団祝賀会に出席。奈良・橿原神宮近くのホテルで開催され「シニア時代は1月3日に神社に必勝祈願に行き、グラウンドまで走って帰った」と振り返った。

 橿原は初代天皇とされる神武天皇が皇居を造った建国の地。同地で日本という国が始まった。鍬原が硬式球で本格的に野球を始めたのもこの地だ。「人生で一番走った。体力もメンタルも自信がついた」。シニア時代は初詣の後、球場まで約40分の走り始めで一年がスタート。8時間かけ、外野で150往復のポール間走をしたこともあるという。最速152キロ右腕の礎だ。

 これまでは1年目の目標を「新人王」と掲げてきたが、地に足のついた設定を口にした。「まずは開幕1軍が目標。そして1勝。シーズン終盤に新人王を目標にできることが目標」と軌道修正。約200人から激励を受けた高揚感の中でも、冷静な一面を見せた。

 シニアでは中学2年の夏までは外野手。1学年後輩でプロでも同僚になる岡本が3番に座り、自身は5番で中軸を組んだ経験もある。「とにかくピッチャーとして試合に出たかった」と努力を重ね、エースの座を勝ち取った。岡本とは「プロでも2人で一緒に試合に出て活躍したい」と新たな夢ができた。

 恩師やチームメートと再会し「陸上部のように走った。走ってばかりで足腰が鍛えられた」と懐かしんだ21歳。原点の地・橿原からプロの世界へ送り出された。 (神田 佑)

 ◆鍬原 拓也(くわはら・たくや)1996年(平8)3月26日、岡山県生まれの21歳。3歳で奈良に転居して小3で野球を始め、中学時代は橿原磯城シニアに所属。北陸(福井)では1年夏からベンチ入りし2年秋からエース。甲子園出場なし。中大では1年春からリーグ戦に登板し通算44試合で11勝13敗、防御率3・38。1メートル77、76キロ。右投げ右打ち。

 ▼橿原神宮 奈良県橿原市久米町に所在する神社。初代天皇とされている神武天皇と皇后・媛蹈鞴五十鈴媛命(ひめたたらいすずひめ)を祭るため、神武天皇の宮があったとされる地に、明治天皇により1890年に創建された。日本最古の正史ともされる「日本書紀」で、橿原は日本建国の地と記されている。神武天皇が国内を統一し、この地に皇居を造って、即位の礼を行った。橿原神宮のホームページには「ようこそ、日本のはじまりへ。」と記されている。

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