チームの微妙な空気…稲葉が2000安打直前に感じた重圧

[ 2013年1月9日 17:28 ]

2000安打を達成しても日本ハム・稲葉のモチベーションが落ちることはなかった

野球人 日本ハム・稲葉篤紀(中)

 日本ハム・稲葉は開幕から快調に安打を重ねた。4月28日、楽天戦(Kスタ宮城)の初回2死一、三塁から、ヒメネスの148キロ直球を右前適時打。史上39人目となる2000安打を達成した。

 3ボールからの4球目を「見るつもりはなかった」と積極的に振った。早く決めたい理由があった。残り34本で迎えたシーズン。開幕25試合目での到達は「自分は春先に弱いのは知っていたし、6月ぐらいだと思っていた」という予想をはるかに上回るハイペースだった。「ケガさえしなければどこかで出ると思っていたから」とプレッシャーは自分でも驚くほど感じないままの大記録達成だったが、記録が近づくにつれて周囲が意識し始めたことが気になっていた。

 直前の4月26日のロッテ戦(東京ドーム)。8回の攻撃で凡退し、あと1本としていた稲葉に打席を回せなかった中田が試合後、「すみませんでした」と申し訳なさそうに謝ってきた。ロッカールームの微妙な空気も肌で感じていた。

 「個人的な記録で気を使われるのが嫌でしたから。チームのためにこれは早く打たないといけないな、とそういうプレッシャーはありましたね」

 稲葉の凄さは2000安打達成後、さらに96本の安打を積み重ねてリーグ優勝に大きく貢献したことだ。「2000本で終わりではなく、これを維持、続けていかないと、というモチベーションが大きかった」。8月に40歳となった。全力疾走が稲葉の代名詞でもあるが「ベースが遠くに感じたりとか、走るスピードの衰えはどうしても感じてしまう」。札幌市内の自宅、遠征先のホテルでは下半身中心のストレッチを時間があれば欠かさず行ってケアに努めてきた。ホテルの部屋が手狭な時は廊下に出てストレッチする姿を後輩ナインも目撃している。

 疲労から打撃フォームのバランスを崩してシーズン中盤は打率も落ち込んだが、早出特打にロングティー打撃、試合後の素振りなど練習量が減ることはなかった。稲葉に引っ張られるように若手も汗を流した。終わってみればチームはリーグ優勝、自身の打率・290はリーグ7位だった。

 「とにかく悔いのないようにやろうと。来年のきょうはここに立っているか分からない。きょうはもう帰ってこない。後半はそんな感じの一打席一打席でしたね」。今できることを精いっぱいやりきる。ダメならそれまで。引退も覚悟した男だからこその行動、そして言葉には実感がこもっていた。

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2013年1月9日のニュース