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ホンダ初の小型乗用車「ホンダ1300」本田宗一郎氏がこだわったユニークな二重空冷(DDAC)エンジンは何が問題だったのか【歴史に残るクルマと技術036】

[ 2024年4月7日 13:00 ]

2輪車で始まったホンダの躍進

自転車用補助エンジンの製造から始まったホンダは、1949年に発売された本格的な2輪車「ドリームD型号」や、1958年にデビューし現在も世界中で愛用されている「スーパーカブ」が大ヒットし、2輪車メーカーとしての地盤を固めた。この勢いで、ホンダは世界ロードレースに参戦し、1961年に世界GPのマン島TTレースで優勝。1960年代には、2輪車で“世界のホンダ”と称されるまで上り詰めたのだ。

1965年HONDA F1
1965年HONDA F1

1963年、ホンダ初の4輪車となった軽トラック「T360」と小型オープンカー「S500」で念願の4輪事業に進出。1968年に発売された軽乗用車「ホンダN360」は、低価格ながら高性能で、しかも居住性に優れたFF軽乗用車として歴史的な大ヒットを記録した。

一方で、1964年には4輪モータースポーツの頂点F1に挑戦し、翌1965年に純国産車F1マシンとして初めてメキシコGPで優勝するという快挙を成し遂げたのだ。


「ホンダ初の小型乗用車「ホンダ1300」本田宗一郎氏がこだわったユニークな二重空冷(DDAC)エンジンは何が問題だったのか【歴史に残るクルマと技術036】」の1枚めの画像
1965年HONDA F1

ホンダ初の小型乗用車はユニークな空冷エンジンを搭載

自動車メーカーとしての礎を築いたホンダは、1960年代後半に入って本格的な小型乗用車の開発に着手。1969年、空冷1.3Lエンジンを搭載したホンダ1300セダンの標準仕様「ホンダ77」と高性能仕様「ホンダ99」を発売した。

1300セダン(77)
1969年にデビューした「1300セダン(77)」。分割式グリルと角目2灯ヘッドライトを組み合わせたフロントマスク

分割式グリルと角目2灯(99は丸目2灯)ヘッドライトを組み合わせた個性的なフロントマスクに、インテリアは木目を多用したインパネや丸型3連タイプのメーター、3本スポークのステアリングホイールなどを装備。
また、エンジンを横置きに配置したFFレイアウトで、足回りはクロスビーム式独立懸架を採用するなど先進の技術が盛り込まれた。

「ホンダ1300」搭載のDDACエンジン
「ホンダ1300」搭載のDDACエンジン

なかでも最大の注目は、ユニークなDDAC(デュオ・ダイナ・エアクーリングシステム:二重空冷)エンジンだった。当時の一般的な小型車が水冷式を採用するなか、あえて空冷システムを選択したのは、創業者で社長でもあった本田宗一郎氏の強い思い入れがあったからだ。

DDACによって冷却性能を向上させた空冷1.3L直4 SOHCエンジンは、シングルキャブ仕様の77が最高出力100ps/最大トルク10.95kgm、高性能99の4キャブ仕様が115ps/12.05kgmを発揮し、2Lクラスに匹敵する優れた走りを披露した。
車両価格は、標準仕様77が48.8万円、高性能仕様99は64.3万円に設定。ちなみに、当時の大卒初任給は3.4万円程度(現在は約23万円)なので、単純計算では現在の価値では77が約330万円に相当する。

構造が複雑なDDACエンジンの重さが致命的に

DDAC誕生の背景には、今も語り継がれている本田氏と開発陣の確執となった有名なエピソードがある。
あくまでも空冷エンジンにこだわった本田氏は、“水冷は加熱された冷却水を空気で冷やすのだから、エンジンを直接空気で冷やす方が単純で効率的、軽量にもなる”と主張。開発陣が水冷エンジンの良さを推奨しても一切聞き耳を持たず、この空冷VS. 水冷の社内での論戦によって、本田氏と開発陣との間には大きな亀裂が発生した。

そこで苦肉の策で開発されたDDACは、通常の空冷エンジンのシリンダーヘッドとシリンダーブロックの中に、水冷エンジンのウォータージャケットのような通路を設け、そこに空気を送って冷却する方式。ホンダのF1マシンと同じようなシステムで、水冷並みの冷却効率がアピールポイントだった。
しかし、構造が複雑で重くなったエンジンを搭載したホンダ1300は、車重がライバル達より100kg程度重く、特にフロント重量が重くなったため、ハンドリング性のクセが強い、大衆車としては扱いにくいクルマとなり、販売は期待したほど伸びなかったのだ。

「ホンダ145クーペ」
水冷エンジンになった「ホンダ145クーペ」

オイルショックと排ガス規制強化により市場から消えた空冷エンジン

さらにホンダ1300の逆風になったのは、1973年起こったオイルショックによる低燃費への要求の高まりと排ガス規制の強化だ。

水冷エンジンでは、運転状況によらず冷却水温が80度前後に制御されるため、エンジン各部の温度は安定するが、空冷エンジンは運転状況や冷却状況に影響され、エンジン各部の温度は変化する。空冷エンジンは、安定した温度制御ができないため圧縮比が上げられず、どうしても燃費や排出ガス性能は水冷エンジンに比べると劣ってしまう。
さらに、オイル温度と主要部品の温度が上がりやすくなるため、耐久信頼性についても水冷エンジンには太刀打ちできない。

空冷ながら冷却効率を高めたDDACだったが、加速する排ガス規制対応や低燃費対応が困難なことから、ついにホンダは空冷エンジンを断念。1972年発売の「ホンダ145」は水冷エンジンに切り替えたのだ。

「N360」
1967年にデビューし、爆発的な人気を獲得した「N360」

ホンダ1300が誕生した1969年は、どんな年

1969年には、ホンダ1300の他に、日産「スカイラインGT-R」や「フェアレディZ432」、ホンダのバイク「CB750FOUR」も登場した。

スカイラインGT-Rは、レーシング用エンジンS20型エンジンを搭載した3代目スカイライン(ハコスカ)のトップグレード、フェアレディZ432はGT-Rと同じS20型エンジンを搭載したフェアレディZの最強モデル、CB750FOURは750cc空冷4気筒エンジンを搭載した高性能バイクで日本にナナハンブームを巻き起こした。


「ホンダ初の小型乗用車「ホンダ1300」本田宗一郎氏がこだわったユニークな二重空冷(DDAC)エンジンは何が問題だったのか【歴史に残るクルマと技術036】」の1枚めの画像
1969年にデビューした3代目(ハコスカ)「スカイラインGT-R」

その他、この年には東名高速道路が開通し、アポロ11号が人類初の月面有人着陸に成功、日本初の原子力船「むつ」が進水した。「水戸黄門」、「8時だよ!全員集合」、アニメ「サザエさん」のTV放送開始、マンガ「ドラえもん」が連載開始、明治製菓「アポロチョコレート」が発売されたのもこの年だ。
また、ガソリン53円/L
、ビール大瓶142円、コーヒー一杯88円、ラーメン92円、カレー146円、アンパン25円の時代だった。

ホンダ1300 77の主要諸元
ホンダ1300 77の主要諸元

ホンダ創業者の本田宗一郎氏がこだわった、ユニークな空冷エンジンを採用した「ホンダ1300」。成功したモデルとは言えないが、ホンダらしい個性豊かなアイデアが盛り込まれた、日本の歴史に残るクルマであることに、間違いない。

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