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元東洋王者の矢尾板貞雄さん死去 若手記者にはありがたかった記者席での指導「迷ったらヤオさんに聞け」

[ 2022年9月19日 21:50 ]

1970年、引退式を前に元東洋フライ級チャンピオン矢尾板貞雄(左)とスパーリングするファイティング原田
Photo By 共同

 プロボクシングの元日本、東洋フライ級王者で、引退後は評論家として活躍した矢尾板貞雄(やおいた・さだお)さんが13日午後5時35分、小脳出血のため東京都目黒区の病院で死去した。86歳。東京都渋谷区出身。葬儀・告別式は近親者で済ませた。喪主は長男和彦(かずひこ)氏。

 1955年(昭30)にプロデビュー。スピードを武器に58年にフライ級の日本、東洋(現東洋太平洋)王者となり、59年1月には白井義男から世界フライ級王座を奪ったパスカル・ペレス(アルゼンチン)にノンタイトル戦ながら判定勝ち。同11月に王座を懸けて再戦し、白井に続く世界チャンピオン誕生に向けて日本中の注目を集めたが、2回にダウンを奪いながら逆転の13回KO負けを喫した。引退後は評論家、解説者として活動した。

 矢尾板さんは後楽園ホールの記者席にいつも早くから座っていた。記者がボクシング担当になったばかりの25年ほど前。「矢尾板さんの採点は」で有名なテレビ解説者でもあり、緊張してあいさつしたが、気さくな様子で質問に何でも答えていただいた。競技がよく見えるリングサイドの席とは言え、競技未経験の記者は一瞬のフィニッシュパンチが何だったのか、分からないことも多い。そのときは必ず矢尾板さんにパンチの種類を聞いた。「迷ったらヤオさんに聞け」。若手記者たちの合言葉だった。

 現役時代の勇姿を見たことはないが、「世界王者になれなかった名ボクサー」の一人として必ず名前が挙がる。日本人世界王者不在だった1959年(昭34)11月、日本国民の期待を一身に受けて世界フライ級王者ペレスに挑み、逆転のKO負け。ノンタイトル戦ながらエデル・ジョフレ(ブラジル)、ジョー・メデル(メキシコ)といった名選手と拳を合わせ、62年には世界フライ級ランキング1位として王者ポーン・キングピッチ(タイ)への挑戦が内定したが、突如引退を表明。所属ジムの会長との確執が原因といわれた。

 評論家、解説者としては「矢尾板メモ」が有名だった。取材内容を記したノートを見せてもらったが、字がきれいで読みやすく、細かい内容に驚いたことを覚えている。技術を語る解説は最も辛口で、記者席では放送できないような毒舌も口にしていた。前の席に座っていると後ろからよく小突かれ、競馬専門紙の記者だった頃に1面で穴予想を的中させた自慢話を聞かされるなど、後輩記者としてかわいがっていただいたとも思う。ボクシング担当を離れていた頃、観客とのトラブルがあったと聞いた。今春に担当に復帰した際は、もう後楽園ホールに姿はなかった。コロナ下では消滅していたホールの記者席が復活間近という時期の訃報だった。(ボクシング担当・中出 健太郎)

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2022年9月19日のニュース