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フジタ“Jr”ハヤト うれしさと不安が交差する5年ぶり本格復帰「格闘技が好きだから辞められなかった」

[ 2022年6月16日 07:00 ]

スポニチアネックスのインタビューに応じたフジタ“Jr”ハヤト
Photo By スポニチ

 7月1日に約5年ぶりに本格復帰するフジタ“Jr”ハヤト(35=みちのくプロレス)がスポニチアネックスのインタビューに応じた。がんとの闘病を乗り越えて本格復帰が決まった経緯や現在の心境などについて語った。2回にわたり連載する。

 ――7月1日に約5年ぶりとなる本格復帰が決まりましたが現在の心境を教えてください。
 「正直、その日にならないとわからないです。無事に7月1日を迎えた時にやっとスタートラインに立てるというか無事にその日を迎えられるまでは不安ですね。いろんな人が“復帰おめでとう!”と言ってくれるけどうれしい半面、不安もあるのが今の心境ですかね」

 ――19年12月に1試合限定でリング復帰しました。その後は闘病も含めて体調はどうだったんですか?
 「あの試合が最後の試合だと思ってましたし、そのために治療もしてました。あの試合が終わってからの治療の方がしんどかったです」

 ――当時は本格復帰できるとは思ってなかったんですね。
 「そうですね。だからその時に比べたら調子は良いですけど、痛みはずっとあります。痛みが途切れたこともなかったし、痛みが出ても薬でごまかしてました。完全に治ったわけではないので、そこに関して不安はめちゃめちゃあります」

 ――本格復帰が明確化してきたのはいつ頃だったんですか?
 「復帰が明確化してきたのは今年に入ってからでした。自分の中で“イケるかも”ってなったのは3月終わりから4月ぐらいでしたね。この時期に会社にも“試合させてくれ”って言いました。病院の先生には2月ぐらいに“夏ぐらいに試合出来ますか?”と相談してました」

 ――1試合限定復帰を除いて欠場していた約5年間、リング復帰に向けて心の支えになっていたものはなんですか?
 「心が折れそうな時の方が多かったけど…格闘技が好きだったからだと思います。見るよりも戦う方だったって気持ちだけでした。あと他にやることが見つかりませんでした」

 ――戦うことに区切りを付けて他のことをやろうとも考えてたんですね。
 「なんかしなきゃいけないと思ったこともありましたけど、その度に格闘技を見たりすると“俺はやっぱり格闘技が好きなんだな”と思えたから結果的に辞められなかったですね」

 ――5年間のブランクがある中で5月8日にサプライズで復帰発表をしました。家族を含めて周りの人たちはどんな反応をしてましたか?
 「親にも秘密にしてたのでビックリしてました(笑い)。でも喜んでましたね。もう1回、親父に試合を見せてあげたいと思ったのも復帰する理由になりました」

 ――SNSでも凄く反応が大きかったですからね。
 「そうですね。5年間何もしてなかった俺の復帰戦がいきなりタイトルマッチで、さらに後楽園ホールのメインイベントとかどう考えてもちょっと狂ってるよね(苦笑)。この数年間は世界的にも暗かったし、プロレス業界でも暗いニュースもありました。その中で元気になれるきっかけや楽しみのひとつが俺だとしたらエンタメの仕事してる理由になるし、それが全てですね」(続く)

 《フジタ“Jr”ハヤト本格復帰戦》ハヤトは7月1日のみちのくプロレス後楽園ホール大会で約5年ぶりに本格復帰。復帰戦はメインイベントで東北ジュニアヘビー級王者のMUSASHIにいきなり挑戦する。王者奪取となれば12年6月以来となる10年ぶりの東北ジュニア王座戴冠となる。

 ▽7月1日後楽園ホール大会チケット情報。特別リングサイド7000円、リングサイド6000円、指定席A5000円、指定席B席4500円。チケット問い合わせメールアドレス=godbless_staff_hytkid_crew@yahoo.co.jp。みちのくプロレスHP=http://www.michipro.jp/

 ◆フジタ“Jr”ハヤト(ふじた“じゅにあ”はやと)1986年(昭61)9月20日生まれ、東京都出身の35歳。2004年12月、中嶋勝彦戦でプロレスラーデビュー。08年12月東北ジュニアヘビー級王座を初戴冠。その後、新日本プロレス、プロレスリングZERO1などにも参戦。17年4月に左膝外側側副靭(じん)帯完全断裂、左膝内側側副靭帯部分断裂で長期欠場。18年11月に脊髄腫瘍髄内腫瘍上衣腫によるがんであることを公表。19年12月に約3年ぶりとなる1試合限定の復帰戦を戦った。7月1日のみちのくプロレス後楽園大会で約5年ぶりとなる本格復帰戦で東北ジュニア王者のMUSASHIにいきなり挑戦する。

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