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K―ness.&横須賀ススム ターニングポイントを振り返る!K―ness.「ススムが横にいれば…」

[ 2022年3月24日 07:00 ]

KIZUNA FINAL(下)

団体を代表するタッグチーム“クネスカ“。K―ness.(左)と横須賀ススム(右)
Photo By スポニチ

 DRAGONGATEを代表するタッグチーム“クネスカ”のK―ness.(47)と横須賀ススム(44)がスポニチアネックスのインタビューに応じた。タッグでの今までの思い出や来月7日に迫ったK―ness.の引退試合について語った。2回にわたり連載する今回が2回目。

 “クネスカ”のターニングポイントについて横須賀は闘龍門時代のタッグリーグ準優勝と“ジミーズ“時代だという。「僕らが全盛期に近かった時に闘龍門時代のタッグリーグで準優勝に終わったのは痛かったです。だけど結果的に巡りに巡ってDRAGONGATEになってから“ジミーズ“というユニットでKーness.と2015年にタッグリーグを優勝しました。タッグリーグを優勝する前にツインゲートの戴冠歴はありましたし、その時点で“クネスカ”はDRAGONGATEのタッグ屋といえばみたいなタッグチームでした。だけどその時に“ジミーズ“としてタッグリーグを優勝できたのは良かったですね。“ジミーズ“なんて最初は僕の罰ゲームで始まったユニットでしたけど、仲間も集まってチームとして、そしてK―ness.と一緒にタッグリーグを獲れたのは思い出1つですね」と振り返った。

 K―ness.もこのターニングポイントに同感した上で「“クネスカ”として長い時間をかけて闘龍門時代のタッグリーグの借りを返せたかなと思います」と話し、「“クネスカ”はユニット関係なしだったので、他のユニットでもススムと組む時は“クネスカ”でしたからね」と団体の中でタッグチームとして入場テーマ曲があるのは“クネスカ”のみという所からもユニットの枠を越えた特別なタッグチームだった。

 “クネスカ”として所属したユニットも多くあったが横須賀は「意識して動いたわけではないですけど、K―ness.と自分はどういう状況でもカードを組まれたら自然と組めますし、お客さんも違和感を感じないで納得して見てくれますからね。DRAGONGATEはユニット闘争がメインストーリーにあるので、他のユニットの人と組むと違和感があるかなと思うんですけど、その中で違和感がなく見れるのが僕らのタッグだったのかなと思います」と改めて“クネスカ”の魅力を語った。続けてK―ness.も「仮にススムだけヒールで“クネスカ”をやってもおかしく思わないんじゃないかなと思います」と同じ思いだった。

 “クネスカ”として戦えるのも来月7日の引退試合のみとなった。横須賀は「K―ness.のコンディションは正直良くないです。でも“クネスカ”をやるのは最後なので勝ってK―ness.を送り出したいという気持ちはあります。K―ness.をどうコントロールするのかは自分にかかってると思うので、どうにか上手く立ち回って引退試合を勝利という形で終われるようにしたいですね。それが最高のK―ness.へのプレゼントになると思います」とK―ness.が有終の美を飾れるように意気込んだ。

 K―ness.も「“クネスカ”というのはススムの指示というか何を求めてるかわかるんですよね。それで自然と身体が動くというか身体に染み付いてます。そういう意味でもススムが『動かす』って言っていて、不安もありますけどススムが横にいれば絶対に出来るという自信もあるのでそこは大丈夫だと思います」と相棒の横須賀を信じて現役最後の試合を戦い抜く。

 最後にファンに向けて横須賀は「僕が引退する立場ではないですけど、2人で1人のレスラーみたいなところもあったので、その片割れが引退してしまってファンの人も色々と思うこともあると思うんですけど、僕はこのリングで戦い続けます。K―ness.の魂というのはどういう形かわからないですけど、僕は背負っていきたいと思っています。K―ness.が自身の技を若手に継承してて、僕は冗談でK―ness.の技を何でも使っていいみたいなことは言ってますけど、何かしらの形でK―ness.の魂を受け継いでいきたいと思っています」とK―ness.の魂を受け継ぐことを誓った。

 「ファンの方々にはK―ness.というレスラーがDRAGONGATEのリングに居たってことを忘れさせないようにしていくのが僕のこれからのテーマでもあります。そういう所を見ていただけたら自ずと“クネスカ”を応援してたファンの人たちがこのまま安心して見ていただけるのかなと思います」と語った。K―ness.も「K―ness.としても最後ですし、”クネスカ”としても最後なので2人の絆を最後まで見届けてください」とメッセージを送った。(終わり)

 《3月27日横須賀ススム凱旋大会&4月7日K―ness.引退試合》横須賀ススムは3月27日に神奈川県横須賀での地元凱旋興行が予定されている。K―ness.は4月7日に引退試合を迎える。引退試合は“クネスカ“が同じコーナーに立ち、対角に立つK―ness.の永遠のライバルであるドラゴン・キッドとK―ness.が弟分と呼ぶKzyとタッグマッチで対戦する。

 ◇K―ness.(くねす)1974年4月16日生まれ、本名は齋藤誠。東京都出身の47歳。1995年にみちのくプロレスに入門。1996年に斎藤誠の名前でプロレスラーデビュー。同年にレッスル夢ファクトリーに移籍してMAKOTOというリングネームで1999年まで在籍。その後、フリーで闘龍門JAPANに参戦。2000年には謎のマスクマン、ダークネス・ドラゴンとしてドラゴン・キッドと2年間抗争した末に2002年のマスカラ・コントラ・マスカラ戦で敗れてマスクを脱いで素顔を公開した。その後はマスクも一新してリングネームもK―ness.として登場。2003年には吉野正人(当時YOSSINO)とともに団体の中軽量級ベルトのオープン・ザ・ブレイブゲート王座を創設。2010年1月にオープン・ザ・ブレイブゲートを初戴冠。2013年には団体の至宝であるオープン・ザ・ドリームゲートに初挑戦。2021年の12月末に引退発表。今年4月7日に現役を引退する。

 ◇横須賀ススム(よこすか・すすむ)1978年2月18日生まれ、本名は望月享。神奈川県出身の44歳。1998年に闘龍門3期生としてメキシコに渡り、1998年に本名でプロレスラーデビュー。2002年に望月成晃との「モチヅキ・コントラ・モチヅキ」に敗れて、自身の出身地にちなんで横須賀享になった。2006年にオープン・ザ・ドリームゲートを初戴冠。2016年には自身2度目となるオープン・ザ・ドリームゲートを10年ぶりに戴冠。2019年には中軽量級ベルトのオープン・ザ・ブレイブゲートを初戴冠。同時に史上6人目となる団体の四大タイトル全制覇となった。2020年には全日本プロレスの世界ジュニアヘビー級王者に輝いた。

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