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力道山 WWA王座、血まみれの初防衛 “吸血鬼”も歯が立たず

[ 2020年5月1日 05:30 ]

1962年4月23日、WWAヘビー級選手権、ブラッシー(右)の度重なるかみつき攻撃で血まみれとなった力道山
Photo By スポニチ

 【Lega-scene あの名場面が、よみがえる。~力道山編~】昭和、平成の名場面を本紙秘蔵写真で振り返る「Lega―scene(レガシーン)」。力道山は有名外国人レスラーを次々と招へいし、激闘を繰り広げてプロレス人気を高めました。その1人が“吸血鬼”と呼ばれたフレッド・ブラッシー(米国)。1962年(昭37)4月23日、東京体育館で行われたWWAヘビー級選手権は、ブラッシーの度重なるかみつき攻撃で血まみれの大乱戦となりました。

1カ月前、米ロサンゼルスで
WWA王座を奪われた力道山との再戦。
ブラッシーは開始から歯をむき出し
まずは腕をガブリ。
悲鳴を上げた力道山の頭にかみつくと
額から鮮血がほとばしった。

そのまま攻め立てた
ブラッシーが1本目を先取。
2本目は力道山が
必殺の水平打ちで仕留めた。
ブラッシーは3本目も
所構わずかみつくなど反則を連発したが
力道山がリング下から
勢いよく跳び上がり
体当たりをかますと
“吸血鬼”は頭を打って失神。
抑え込んで初防衛に成功した。

ブラッシーの名前が
恐怖を持って語られるようになったのは
4日後の4月27日だ。
神戸市王子体育館で
ルー・テーズ、マイク・シャープと組み
力道山、豊登、グレート東郷と
6人タッグで対戦。
ブラッシーは東郷の額の古傷に
かみついて流血させ
血みどろの東郷も頭突きで反撃。
ブラッシーの銀髪は返り血で赤く染まり
マットに血の池ができた。

翌28日の朝日新聞は
「テレビ中継を見ていた76歳の女性と
63歳の男性がショック死」と報道。
後日、力道山戦でもテレビ観戦の
6人がショック死と報じられた。
刺激的すぎるとして、日本テレビは
この月に始めたプロレスの
カラー放送を中止し
モノクロに戻した。

 《お化けコンテンツ平均視聴率70%》当時のプロレス中継はプロ野球、大相撲と並ぶスポーツの看板コンテンツだった。1954年2月に日本テレビとNHKが放送を開始。日テレは58年8月から金曜日午後8時台に定期番組「三菱ダイヤモンド・アワー」をスタートさせ、日本プロレスを独占中継した。62年9月設立のビデオリサーチの記録にはないが、61年4月から日本で視聴率調査を開始したニールセン調べでは、力道山―ブラッシーの平均視聴率が60%、神戸の6人タッグマッチは70%だったとされている。

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2020年5月1日のニュース