【羽生結弦さん、語る 公開練習(2)】仙台から再出発「地元で自分を高めていける特別な感情がある」

[ 2022年8月10日 17:45 ]

<羽生結弦さんSharePractice>練習に臨む羽生結弦さん(撮影・小海途 良幹)
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 フィギュアスケート男子で14年ソチ、18年平昌で五輪連覇を達成し、プロ転向した羽生結弦さん(27)が10日、仙台市のアイスリンク仙台で公開練習「SharePractice」を行った。練習の様子は、公式YouTubeチャンネル「HANYU YUZURU」でライブ配信。スケート人生の第2章が始まった。練習後の一問一答は以下の通り。

 ――仙台でのホームリンクへの思いは。

 「いや、本当にあのー、ここの後ろで思いっ切り4回転トーループの練習してて、めっちゃ転びまくったりとか。いやなんか、“こうやってるから回転足りななくて、こうやってこけちゃうんですよ”とか言ってるの懐かしいなって思ったんですけど。あのー、やっぱりここで練習していけることは特別ですし。あのー、もちろん昔みたいにいろんな選手たちと一緒に練習したりとかっていう機会はなくなってしまいましたけれども。ただやっぱり、地元を離れずにこうやって地元で練習して自分を高めていけるっていうことの特別な感情はあります。これからも、あのー、まあ僕自身もここで成長したいなって思いつつも、また、あの、自分自身もその地元に貢献できるように、自分が大好きな故郷を少しでも支援していけるような活動も含めて、あの、頑張っていきたいなとは思います」

 ――数十年前にここで、子どもの時にインタビューで「金メダルを獲る」と言っていた。それが2度もかなって、この場で振り返ってみて。

 「そうですね…まあでも、僕自身やっとスタートに立てたかなって思っているところです。こうやって皆さんの前で、あのー、プロとして初めて、えー、あのスケートを披露するっていうことができて。で、またその中でもなんか、最初のスタートのところでSEIMEIをノーミスするっていうことにも、またなんか意味があったなっていうふうにも思ってるんですけど。あの、もちろん、ソチオリンピックも、平昌オリンピックも、北京オリンピックも。かけがえのない自分の記憶ですし、経験になってると思うんですけど、それらがあったからこそ、やっと今スタートラインに立って、“これからさらにうまくなっていけるんだ”っていうふうに思えてるので。あの、まだまだこれからも応援をお願いしたいなと思ってます」

 ――もういいんじゃないかと思う人もいるだろうという中で、あえて4Aチャレンジというのは。

 「そうですね。いやー、もう、自分、夜中に練習してるんで、だいたい。思ったように体動かなくて、凄い悔しかったんですけど、これからまた、どんどん練習していって、あの、絶対に4A降りる姿を見ていただけるように。これからも頑張っていきたいなと、死にものぐるいで頑張っていきたいなと思います。お願いします」

 ――今後、宮城県での活動など計画していることは。

 「えっとー、とりあえず練習拠点としてはまあ、ここがメインなのかなとは思ってます。ただ、あの実際に練習の時にあの、やっぱり来られてしまったりとかすると、あの、施設の方々にご迷惑をかけてしまうので、それだけはちょっとご協力をお願いしたいなと思うんですけど。これからもここで練習したいなと思いますし、あとはあの、仙台とか宮城の中でショーができれば、あの、やりたいなとは思ってます。はい」

 ――宮城県民へメッセージを。

 「いや、本当にあの、いつも応援ありがとうございます、ということと、あとあの北京オリンピックに関しても確かに4Aは成功することはできなかったですし、えー、メダルも獲ることができなかったですけども、それでもなんかあの、応援を続けてくださる姿を見て、僕自身もっと、もっと成功させたかったなとか、結果取りたかったっていうのは、正直皆さんの声を聞いて思ったんですけど、でも、これからまた、4回転半も含めてあの、結果とういものにも貪欲にこだわっていきたいなと思いますし。皆さんの前で演技する機会もどんどんつくっていきたいなっていうふうに思うので、あの、楽しみにしていただければうれしいです。ありがとうございます」

 ――慣れ親しんだリンクを選んだ理由と、このリンクでの思いでは。

 「はい。あの、やっぱりここはリニューアルする前にあの、違う会社だっとは思うんですけど、あの自分自身がスケートを始めた場所です。そして、今もメインでここで練習させていただいている活動拠点です。そういう意味も込めて、あのー、ここで練習している姿をあのー、見ていただけたらいいなっていうふうに思ったのと、あとはあのー、やっぱり僕仙台凄い好きなので。あの正直、カナダに練習拠点を移した時もやっぱり仙台離れたくないなって思いながら泣きながら行ったたほど仙台は好きなので、やっぱり今、こうやって仙台で滑れてうれしいですし。また、あのー、今後の活動も含めてあの、仙台でいろいろできたらなぁなんていうふうに思ってるので、えー、これからも仙台の皆さんとともに歩んでいけたらいいなと思います」

 ――宮城に子どもたちへ。

 「いや、正直、やっぱり仙台、リンクがあの通年でできるリンクが一つしかなくて。フィギュアスケートもそしてアイスホッケーも、スピードスケートも、ショートトラックも、本当に練習環境としては厳しいものがあると思います。えー、本当に大変な中、僕もここで練習してたんでよく分かるんですけど、本当大変な中、練習してると思います。それでも、あの、常にうまくなるんだっていう向上心を持って、そして、僕もこのリンクで、いまだにうまくなれてるんで。だから、あの、皆さんもきっと同じリンクで滑ってるので、絶対うまくなれると思うので。あの、希望を持って、理想の自分を描きながら頑張ってほしいなって思います。ありがとうございます」

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