【内村航平ヒストリー】キング原点はトランポリン、中学最下位から世界の頂へ

[ 2022年1月11日 08:51 ]

21年10月の世界選手権。予選の演技を終えて笑顔を見せる内村航平(右)(撮影・小海途良幹)
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 体操男子の個人総合で12年ロンドン、16年リオデジャネイロと五輪連覇するなど体操界にキングとして君臨してきた内村航平(33=ジョイカル)が11日、マネジメント会社を通じて現役引退を発表した。

 内村の原点は両親が経営する長崎県諫早市の「スポーツクラブ内村」にある。3歳の時に体操を始め、運命を変えたのは両親からの11歳の誕生日プレゼント。幅2メートル、長さ12メートルの巨大なトランポリンだった。

 中学卒業まで、このトランポリンは内村の遊び場となり、最高の友達になる。何千、何万回と跳びはね、体をひねった。中3時の全国中学校大会では最下位の42位だったが、トランポリンで養った空中感覚はのちに花開く。

 高校入学と同時に上京し、東洋高時代は高校総体の種目別・床運動で優勝。高校時代にともに汗を流した親友の佐藤寛朗は、16年12月のプロ転向後に内村のコーチに就任し、一番近くでキングを支えた。

 日体大2年時の08年北京五輪の個人総合で銀メダル。日本のエースになると、同年11月の全日本選手権から無敵進撃がスタート。12年ロンドン、16年リオの五輪連覇など17年の世界選手権予選で左足を痛めて途中棄権するまで、40連勝の偉業を成し遂げた。

 プロ転向後は故障との闘いだったが、18年の世界選手権は種目別の鉄棒で銀メダルを獲得。20年に鉄棒1種目に絞り、H難度「ブレトシュナイダー」を習得し、昨夏の東京五輪にたどり着いた。自身4度目の夢舞台は予選落ちだったが、生まれ故郷・北九州での世界選手権では、順位は6位ながら会心の着地で観衆を魅了した。

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2022年1月11日のニュース