ヤマハ発動機初、助っ人から営業マンへ ラグビー界のロッキーの今

[ 2020年7月6日 11:21 ]

ヤマハ発動機で働くハビリ・ロッキーさんはオンライン取材に応じた

 ロッキーには続編があった。映画の話ではない。ラガーマンだ。パワーとスピードを併せ持ったバックスで、途中出場で流れを変える「インパクトプレーヤー」として長く活躍したハビリ・ロッキーさん(40)は、17年シーズンで引退し、18年からヤマハ発動機で働いている。しかも、やり手の営業マン。海外市場開拓事業部に所属し、主に船のエンジンを売っている。

 「ラグビーもビジネスもチームワークとコミュニケーションが大事。分析して、相手と自分たちの強みと弱みを知る。知った上で戦略を立てる点も似ていると思っている」

 白いシャツに身を包み、人懐っこい笑顔を見せた。金髪の印象が強い現役時代のいかつい姿は、そこにはない。2カ月に1度、静岡県磐田市の本社を離れて海外へ。現地の卸先を回る。トンガ生まれのニュージーランド育ちだから、英語はお任せ。そこに、取引先の懐に入れる人間力と、勉強熱心さが加わって、数字を上げているようだ。

 グアムでは水上バイクの新規開拓に成功。グループリーダーの海野智洋さんは「ヤマハが何十年もかけてできなかったことを、1年半でやってくれた。かなり大きな功績です」と賛辞を送る。現役時代と同様、周囲に好影響を与えるインパクトプレーヤーとして活躍している。

 07年に来日し、サントリー、リコー、キヤノン、ヤマハ発動機を渡り歩いた。サントリーとヤマハでは、清宮克幸監督(現日本協会副会長)のもとで日本一を経験している。長く住む間に、日本国籍を取得。トンガ王族の血を引く妻と、5人の子どもも定住を望むようになった。現役引退に際し、チームに働き口を相談。話は進み、ヤマハ発動機で初となる、外国出身ラグビープロ選手のサラリーマンが誕生した。

 ハビリさんはヤマハのユニホームを着ていた頃から、朝、小学生の通学路に立っていたというエピソードが伝わる。1メートル82、102キロの巨体が交通安全の旗当番をする姿は、想像するだけでほほえましい。地域にも献身的な人柄だから採用されたのだろう。ダイバーシティ(多様性のある人材活用)に積極的な会社の姿勢も伝わる。

 競技一筋で生き、やめた後にどう生活をしていくのか。セカンドキャリアは、国籍を問わず、プロ選手に共通する悩みだ。ハビリさんは「ニュージーランドに帰って警察の仕事をしようと思っていたよ」と振り返る。第二の人生に苦労をする仲間を知っている。狭き門をくぐり抜けて職に就いた今だからこそ、海を渡ってくる後輩には、こうアドバイスをしている。

 「何でもいいから興味を持ったことには早いうちから勉強をしなさいと、常々言っている。日本の女性と結婚して、引退後に不安を感じる選手も何人もいる。興味を持ったら、なんかしらの授業を受けておいた方がいいと、伝えている」

 後進の道標となるべく「もっと勉強してビジネススキルを上げたい」とエネルギッシュ。こちらのロッキーの続編もきっとサクセスストーリーだ。(記者コラム・倉世古 洋平)

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2020年7月6日のニュース