サクラセブンズ桑井亜乃 シンデレラ育んだ北の大地 競技歴4年で夢舞台

[ 2016年6月22日 09:30 ]

7人制ラグビー女子代表候補bの桑井亜乃

「カウントダウンリオ」7人制ラグビー女子代表候補・桑井亜乃

 毎週水曜日掲載の「カウントダウンリオ」。今回のテーマ「メダル候補の虎の穴探索」では、7人制ラグビー女子代表候補の桑井亜乃(26=アルカス熊谷)の故郷、北海道幕別町を訪ねた。中京大時代まで陸上の投てき種目の選手だったが、卒業後の12年4月にラグビーを本格的に開始。わずか4年余りで五輪選手になる夢物語は、北の大地とは切っても切り離せない。

 そこは抜けるような青空と、遠くまで見渡せる地平線が広がっている。思わず松山千春の名曲を口ずさみたくなる風景だ。十勝地方の中核都市である帯広市の東に隣接する幕別町は、全域がほぼ真っ平らな台地で、農業と畜産が盛んだ。が、桑井は言う。「水道水がおいしいんですよ」。その言葉に、この土地の魅力の全てが詰まっている。

 陸上の福島千里、スピードスケートの高木菜那・美帆姉妹も同町出身者。人口約2万6000人の町は08年北京から夏冬合わせて5大会連続で五輪選手を輩出しようとしているが、ラグビーに関しては不毛の地だ。地元でラグビー部のある学校はなく運動用具店にはボールすら売られていない。桑井もラグビーに出合ったのは中京大入学後だが、アスリートの土台は故郷で過ごした18年間に築き上げられた。中京大の授業で桑井にラグビーを教え、4年間通じて熱心に転向を誘ったというラグビー部の中本光彦監督(39)は言う。

 「身長、体重、スピード、手足の長さ、筋肉の付き方。全て素晴らしかったし、群を抜いていた。瞬発力、持久力もある。肩にかけて筋肉があり、相手選手が抱え込めない」。そして「最初からラグビーをしていたら、あそこまでの選手にならなかったと思う」とも言う。遠回りに見える過程が、実は近道だということはよくあることだ。桑井のアスリート人生も、その典型的な例だろう。

 桑井が「原点。遊ぶのも、ジョギングするのもあそこだった」という場所が、自宅から1・5キロほどの距離にある幕別運動公園だ。物心が付いた頃には、運動公園内の陸上トラック兼スケートリンクで活動する地元の陸上少年団に7歳上の長女・志乃さんが入団していた。母・法子さん(62)に連れられ、姉の練習を見守るのが日課だったが、3歳の子供がおとなしくしていられるはずがない。遊具や木登りに飽きて母に駄々をこね始めた時、法子さんから言われた言葉が「1周、走っておいで。走ったらお菓子を買ってあげる」。すぐそばの堤防を上がり、陸上トラックやテニスコートを回ってくると、ちょうど1キロほどになる。お菓子を買う約束はいつしかほごにされたというが、連日のマラソン練習で、確実に脚力を付けていった。

 腕試しにと、4歳の夏に新得町で行われた3キロのマラソン大会にエントリー。本来は小3以上が対象だが、ごり押しして参加が認められると、見事完走した。伴走した父・健志さん(63)は「走る前から小学生のまねでウオーミングアップをしてヘロヘロになったけど、一度も歩かず完走した」と振り返る。4歳上の次女・園乃(その)さんにはわずかな差で勝てなかったが、当時から根性も人一倍だった。

 幕別小入学とともに、満を持して陸上少年団に入団。中距離や走り幅跳びの選手として活躍した。同時に冬季はスピードスケート教室にも通い始めた。冬には最高気温が0度以下の真冬日が続く幕別町ではスケートも盛ん。運動公園の陸上トラックは冬場にはスケート場に様変わり。極寒の中での練習は、脚力アップを手助けすることになる。

 小3でスピードスケートからアイスホッケーに転向。桑井を指導していた小学校教諭の藤井将弘さん(45)は「屋外リンクは氷が非常に硬く、しっかり刃をかませないと前に進まない」という。氷は表面温度が高いほど滑りやすく、屋内スケート場で行われるフィギュアスケートは、氷の温度がマイナス3度に設定される。夕方には気温がマイナス10度以下になることもある幕別の氷上で毎日3時間の練習を積むことで、4歳で3キロを完走した脚力はさらに育てられていく。同時に男の子相手のコンタクトも経験。藤井さんも「ラグビーで活躍していると聞いて、なるほどなと思った部分があった」と当時を懐かしんだ。

 「陸上に命を懸けていた」(法子さん)桑井は、中3で不幸にも左膝の軟骨が欠けて手術を受け、主戦としていた幅跳びを続けることを断念。それでも中学最後の大会に出場するため、突貫工事で挑んだ砲丸投げで、道大会入賞を果たした。帯広農高2年時には、円盤投げで国体5位。成績が評価され、中京大への推薦入学が決まった。全てがタイミング良く重なり、中京大2年の09年にリオ五輪からの新種目採用が決まったラグビーで道を開いた。

 大学時代に指導したアジアの鉄人こと室伏重信氏(70=現中京大名誉教授)は、そんな桑井を「全てが合っていたんだろう。本当にラッキーガールだと思う」と評する。円盤投げでは大成しなかった。それでも「陸上にも並々ならぬ情熱を持っていた。とにかくインカレに出たいってね。授業でも真面目」と人物評は、毎年数十人の学生を送り出してきた中でも、印象に残っている。

 7人制女子代表は「サクラセブンズ」の愛称でも知られる。肥沃(ひよく)な大地に根を張り幹を太くした一人のアスリートが、大輪の花を咲かせる時を待っている。

 ◆桑井 亜乃(くわい・あの)1989年(平元)10月20日、北海道幕別町生まれの26歳。幼少期から陸上を始め、幕別中3年で投てき種目を開始。帯広農高2年時には円盤投げで国体5位入賞を果たした。中京大卒業後の12年4月にラグビーに転向。同年8月には日本代表合宿に初招集された。埼玉県熊谷市の八木橋百貨店に勤務する。ポジションはFW。1メートル71、67キロ。所属チームはアルカス熊谷。

続きを表示

この記事のフォト

2016年6月22日のニュース