キヤノンOPは選手会長として開催にこぎつけた大会

[ 2010年10月11日 06:00 ]

13年ぶりの優勝を決め、優勝トロフィーを手に笑顔を見せる横田

 横田にとってキヤノン・オープンでの優勝は格別だった。05年から2年間、選手会長を務めた際に宮里藍フィーバーで女子ツアーが盛り上がる一方で男子ツアー人気は低迷。視聴率が下がり、テレビの中継も減っている状況で、自分のゴルフもそこそこに各所に頭を下げ、07年から新たに3大会の開催にこぎつけた。

 キヤノン・オープンはそのうちの1つで、「3試合の開催と引き換えに自分はシード落ちした。この大会には思い入れがあった。徳を積めば良いことがあるんだな」としみじみと語った。
 最終日は午前中から強い雨が降り続き、首位タイだった横田は中止になれば、プレーオフで負けても2位タイで賞金シード当確ラインに届くと計算。前夜も夜中に3度起きて「天気予報をチェックして雨を祈った」という。競技開催が決まった時には「憂うつだった」というが、堂々の優勝で来年から2年のシードも獲得した。「シード落ちで損した分を今週、取り返せた。(賞金で計画していた)露天風呂も造れるし、車も買えますね」と笑いが止まらなかった。

 <天国の母にささぐ>横田は天国の母にも優勝をささげた。母・瑞枝さんは97年4月にがんのため51歳で死去。余命わずかな時に「私が死んだらあなたは勝つよ」との言葉を残していた。その年の9月に全日空オープンで初優勝。「最近はそのことを思い出して般若心経とか唱えていた」という。仏壇の近くには13年前に優勝した時の自分の写真も飾ってある。「あの時は独身だった。今は妻も子供もいる」と感慨深げに話した。

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2010年10月11日のニュース