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川崎F「カブレラ」と陸前高田市「たかたのゆめちゃん」がゴールイン!マスコット同士が挙式&披露宴

[ 2022年4月23日 21:30 ]

挙式に臨むカブレラ(左)とたかたのゆめちゃん
Photo By スポニチ

 さながら、ではない。もはや本物だった。春の穏やかな日差しが降り注いだ4月23日、川崎市内の挙式会場「ラ チッタデッラ」では、結婚情報誌ゼクシィのサポートのもと「ゴールインパーティー」が開かれた。

 新郎は川崎Fのマスコット「カブレラ」。新婦は陸前高田市のゆめ大使「たかたのゆめちゃん」。生演奏で賛美歌が流れ、牧師が祈とうを行う。“2人”は指輪ならぬ腕輪を交換し、誓いのキス。永遠の愛を誓いあった。

 カブレラが以前に恋敵と勘違いした東京ドロンパ(FC東京マスコット)や新婦の友人、ふっかちゃん(埼玉県深谷市イメージキャラクター)らも参列。式後はフラワーシャワーが晴れの日を彩った。

 挙式後は一般客64人を招いて披露宴も開催された。イタリアンのコースには、カブや陸前高田市のイチゴ、トマトなど縁ある食材がずらり。ケーキ入刀、お色直しまで行われ、最後は元日本代表MF中村憲剛FROが新郎の手紙を代読した。「厳かで温かくて。ちょっとじんときました」と中村氏。人間界と変わらない、ステキな挙式&披露宴だった。

 11年3月11日に発生した東日本大震災。クラブが約800冊の「川崎フロンターレ算数ドリル」を車に積み込んで陸前高田市内の小学校に届けたことがきっかけで、川崎Fと同市の縁ができた。以来、新型コロナウイルスが猛威をふるう前の19年までは毎年必ず全選手が同市を訪問するなど、現在に至るまで復興を支える活動を継続。サッカー選手である前に一人の人間として何ができるのか、選手もスタッフも現地に赴いて自らの頭で考え「支援はブームじゃない」を合言葉に交流を続けてきた。

 カブレラとたかたのゆめちゃんは震災から4年後の15年、リーグ最終節のイベントで出会った。「におわせ」(21年1月)、「交際宣言」(同年8月)、「プロポーズ成功」(同年10月)などを経てゴールイン。当初は2月11日にパーティーが予定されていたが、新型コロナの感染拡大で延期となり、ようやくこの日、開催にこぎつけた。

 挙式に参列した川崎Fの藁科義弘元社長の目には、涙が光った。「想像を絶するような災害があって、その後、高田の皆さんはもの凄い努力を重ねて頑張ってくださっている。我々はその姿を見てむしろ得るものがもの凄く大きいんです、人間として。単なる災害の支援ということを乗り越えた大きなものをいただいている。これからもこのつながりを大事にしたい。その象徴が今日の結婚式だと思っているので、なんかちょっと泣いてしまいました」。最初は「支援」という言葉を使っていたが、いつからか関係を示す言葉は「交流」に変わったという。「10年以上我々がやり続けているのは、与えるだけじゃなくてもらうものが大きかったから。いただくものが大きいので感謝しかないです。(今後も)続けたいと思います」と話した。

 陸前高田市の戸羽太市長は、言葉にならない感謝を語った。「街がなくなってしまって、子供たちが何も持っていなくて、そのときに算数ドリルを分けていただいたところからこの交流がスタートしている。深みのある関係だと思っています」。川崎Fがもたらした子供の笑顔は、大人の希望にもなったという。「子供って震災に遭ったりすると暗いことしか考えないし、大人がへこんでいるから余計居場所がない。でも好きなことをやっているときは、どんな悲しいことでも忘れている。サッカーが好きな子は、サッカーボールを追いかけていれば、その瞬間は嫌なことを忘れている。そういうのが大人を逆に励ましてくれたんです。子どもたちが笑顔になっているよ、大人が泣いている場合じゃないよ、って。一言では言い尽くせない、いろんなことがあるんですけど、一言で言ってしまえば感謝しかないです」

 カブレラとたかたのゆめちゃんのゴールインは、川崎Fと陸前高田市の関係性が今後も長く続いていく証。それだけに関係者も全力でパーティーの開催に尽力した。企画から実現まで取りまとめた川崎Fの田代楽氏は「クラブと陸前高田市がファミリーのように血と血でつながる関係になればいい」との思いで、参加する一般客を楽しませ陸前高田市の魅力が最大限伝えられるよう工夫。ウエディング事業を手がけるチッタ ウェディングの片岡桃子氏は「フロンターレさんと陸前高田市さんとのつながり、そして今後も関係を継続していきたいという思いを応援したい思いがあり、人間と変わらない本気の結婚式をサポートしました」と話した。本物の牧師のジョン・ラザレス氏も「いつもと同じように」愛を込めて挙式を執り行った。

 「お互いに支え合いながらという関係が、また一つ実を結んだのかなと。より結束が深まる。家系がつながりましたからね」。選手時代から陸前高田市の人々との交流を続けてきた中村憲剛氏はしみじみと語った。一過性で終わらせない被災地との交流。本気で“結婚式”に仕立てる企画力。川崎Fならではの特別なイベントが、成就した。(波多野詩菜)

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