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埼スタの「芝職人」輪嶋さんが定年退職 芝管理に懸けた20年に万感の思い

[ 2020年10月3日 08:30 ]

埼スタの芝管理に携わって来た輪嶋さん(浦和レッズ提供)
Photo By 提供写真

 最後の試合を終え、誰もいなくなった芝を見つめた。赤いユニホーム姿、背中には「芝職人」の文字。浦和の選手、スタッフから感謝とともに贈られたものだ。約20年、埼玉スタジアムの芝を管理してきた輪嶋正隆さん(65=埼玉県公園緑地協会)が9月30日、浦和―FC東京戦を最後に定年退職を迎えた。この道の第一人者として万感の思いだった。

 「今まで自分たちが作った芝が原因で怪我をした選手は1人もいない。それが一番の安堵(あんど)感。あとはやはり女房にも言われたんですが、そこ(埼スタ)ってお父さんの作った作品だよねと。国内や海外の著名な選手がプレーする、そんな場所を提供できるのは幸せだなと」。

 浦和レッズの本拠地であり、近年は日本代表でもW杯予選の主戦場となった。芝の質は最高峰。05、09、13、16年にはJリーグのベストピッチ賞を受賞した。雨の日も雪の日も、暑い日も寒い日も、輪嶋さんは埼スタに通い、ほぼ全試合を見てきた。定位置は4階ブース左側か5階記者席。もっともピッチを俯瞰(ふかん)して見られる場所だからだ。

 手元には必ず刈り込みのストライプや白線が記され、ピッチを反映したA4用紙を置き、芝の痛んだ箇所を記入する。例えば南東のCKでは右から何本、左から何本のキックが蹴られたかまで詳細にメモを取り、翌日の整備に役立ててきた。「芝管理には細かなデータ管理が一番重要」と言う。美しい緑のじゅうたんを維持するには想像を絶するデータの蓄積があった。

 もちろん、全てが順風満帆だったわけではない。輪嶋さんは01年3月26日の種蒔き時から携わって来た。同年10月の浦和―横浜戦でこけら落とし、翌11月には日本代表―イタリア戦も行われた。だが当時はまだ時期尚早。芝が根付かず、めくれるアクシデントが続出した。「誰もが芝の生育状況が分からなかった」と振り返る。

 輪嶋さんはめくれた箇所に目印を置き、天井部のキャットウオークから撮影。試合で痛みやすいエリアをあぶり出し、その後、集中的に整備、強化するなど創意工夫を重ねた。傾向は今も変わっていないという。02年W杯を機に飛躍を遂げたのはサッカーだけではない。「02年W杯後、日本全体で芝の管理レベルは急激に上がった」と輪嶋さん。苦い経験が糧になった。

 先日、日本代表の森保一監督が試合視察のため、埼スタを訪れた。自然と“芝談議”に花が咲いたと言う。「芝の長さ、質感、プレーに対する相違点、代表でプレーする多くの選手が欧州でプレーしており、埼スタは違和感がないと話してました」。埼スタの芝は欧州でも多く使用されている寒地型。日本代表にとっても大きな味方となっている。

 日本の芝は主に寒地型、暖地型の2系統。かつては埼スタでの公式戦前に暖地型芝のスタジアムで親善試合を行い、いざ本番で芝の違いに苦しんだこともあった。輪嶋さんは芝職人ならでは目線から日本協会に対し「それぞれ芝にはクセがある。勝ちにこだわるなら、同じ芝でやった方がいい」とアドバイスを送ったという。

 埼玉県農業大学校からゴルフ場のグリーンキーパーなどを経て同職に就いた。約20年間、埼スタの歴史は、輪嶋さんの歴史にもなった。「若い人へ、ベースは作れたと思います。私が抜けても探究心を持ち、色んなデータを取り、チャレンジを続けて欲しい」。輪嶋さんの功績を礎として今後の芝管理は後進に託される。(記者コラム)

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