【有馬記念】オルフェ有終Vを!破天荒ホースに感謝込め池江師誓う

[ 2013年12月16日 05:30 ]

厩舎を出発し、調教に向かうオルフェーヴル

 さあ、グランプリウイークが始まった。中央競馬の総決算「第58回有馬記念」でラストランを迎えるオルフェーヴル(牡5=池江)は15日朝、滋賀県栗東トレセンの坂路で日曜追いを行い、素軽い動きを披露した。池江泰寿師(44)が「破天荒」と表現する希代のキャラ立ちホース。指揮官は別れを惜しむとともに、最終戦を飾るべく気合をにじませた。

【有馬記念】

 現役最後の1週間。オルフェーヴルは、そのことを理解しているかのようだ。デビュー前から黙々と上り続けた坂路。ウッドチップの感触を体に刻み込むように、手応えを残したまま加速した。栗毛の馬体を躍らせて800メートル55秒9~200メートル13秒4を楽にマークした。

 「元気だね。気持ちも乗っている。凱旋門賞後、(すぐに帰国せず)現地で疲れを取ったこと。それからジャパンCをパスしたことがいい方に出ている」。兼武助手の口調は滑らか。大一番前のピリピリ感は皆無。順調さゆえで、ここまで不安は全くない。

 山あり谷ありの競走生活だった。強いだけなら星の数ほどいる。だがオルフェは何というか、人間くさい馬だった。確固たる主張があり、それゆえ人とも衝突した。関係者は苦労したが、ファンにとっては、そこがたまらなく魅力だった。池江師は「一言で言うと“破天荒”。ヤンキーが3冠馬になったようなもの」という。慈愛に満ちた苦笑いを浮かべながら3年半の現役生活を振り返った。

 デビュー戦から規格外。1着入線後に池添を振り落として放馬。口取り写真を撮れなかった。一戦ごとにきつくなる気性。陣営は短期放牧先のノーザンファームしがらきと連携を重ね、1頭だけで調教するなど、時間も手間もかけ工夫を凝らした。スプリングS1着でようやく実を結び、その後は5連勝で史上7頭目の3冠奪取(※1)。「激しい気性でスタッフは毎日大変な思いをした。ただ、父ステイゴールドはもっと激しかったなあ」(同師)

 11年は有馬記念も制し、最高の締めくくりを果たしたが翌年、気性面の不安が再び顔をのぞかせる。阪神大賞典、2周目3角。池添の制止を振り切って先頭に立つと、レースが終わったと勘違いして外へ逸走(※2)。そこから2着まで盛り返したが、気持ちの危うさと、とんでもない潜在能力を印象づけた。続く天皇賞・春は11着惨敗(※3)。陣営は馬と人間の基礎的コンタクトから見直し、短期間で立て直して宝塚記念で復活Vを果たした。同年凱旋門賞は直線でインにヨレ、残り20メートルで差されて2着(※4)。今年の同レースも2着で日本競馬の悲願を達成することはできなかったが、個性的なキャラクターと荒々しい強さでファンを魅了し続けた。

 「凱旋門賞で2度負けたが得たものは多い。スタッフは精神面、騎乗技術を鍛えられた。僕も気持ちに余裕を持つことができるようになった。オルフェからは本当に多くのことを学んだ」。池江師の胸に去来するのは相棒への感謝の思い。最後の一戦を勝利で締めくくることが、オルフェへの最高のはなむけになる。

 ※(1)11年3冠 東日本大震災の影響で東京開催となった皐月賞、不良馬場のダービーを完勝して迎えた菊花賞。3角手前で一気に仕掛ける大胆な戦法で史上7頭目の3冠馬に輝いた。

 ※(2)12年阪神大賞典 4歳初戦。折り合いを欠き2周目向正面で先頭に立つと3角手前で外ラチ方向へ大きく逸走。その後立て直し、勝ったギュスターヴクライの半馬身差2着まで盛り返した。

 ※(3)12年天皇賞・春 調教再審査をクリアして臨んだ大一番。単勝1.3倍の断然人気に支持されたが、終始後方のまま見せ場すらつくれず、勝ったビートブラックから1秒8差の11着に沈んだ。

 ※(4)12年凱旋門賞 前哨戦のフォワ賞を制して立った夢の舞台。直線で抜け出したが、後続を3馬身突き放したところで内にヨレて失速。ソレミアに差し切られ、日本馬初の快挙は夢と消えた。

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