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伸び悩み、いきがっていた時期も…村田 初の世界戦へ葛藤消えた「ありのままで」

[ 2017年1月5日 09:00 ]

門松を手に笑顔の村田
Photo By スポニチ

 ボクシングの12年ロンドン五輪ミドル級金メダリスト・村田諒太(30=帝拳)が勝負の年を迎えた。プロ4年目の昨年は4戦全勝4KO勝利。世界ランキングはWBOとIBFで3位につけており、今年は世界初挑戦が有力だ。伸び悩みの時期もあったプロ生活を振り返り、世界戦での作戦も明かした単独インタビューを2回に分けて掲載する。

 ロンドン五輪金メダリストのボクシング世界王者は既に4人誕生している。昨年12月30日のプロ12戦目で3回KO勝ちし、“5人目”を視界に捉えた村田だが、そもそもプロに転向するか迷いがあったという。

 「迷って当然でしょうね。当時は大学職員という、いい仕事を持っていたので。人間はどこかで変わることを恐れている。今が楽だから、いろいろな理由をつけて。そんな状態でした」

 ――プロにはなりたいけれど、一方で気持ちが邪魔をしていた。

 「なるのが怖かった。五輪の金メダルで勝ち逃げした方がいいと、自分で思っていたんじゃないですか。プロは夢だったけど、目標として持てていなかった。実際に足を踏み入れることのない、夢物語の世界だった」

 ――デビュー時は夢の世界から脱していた?

 「全然先が見えなかった。ラスベガスで試合をするとかパッキャオみたいになりたいとか話をしていても。今やっと、入り口にいるような感じ」

 ――プロ5〜8戦目は判定勝ちが3試合。

 「本当に情けないなと思ったのはニックロウとの試合。まず、人としてダメでしたね。判定でもいいや、みたいな。素直に“判定ですみません”じゃなく、判定でもいいんだ俺は、と開き直っていた。周囲の評価と自分の実力がアンバランスで、その差をいきがることで埋めていた。葛藤がありました」

 ――ボクシングの幅を広げようとして試行錯誤した。

 「ありましたね。いろいろなことを考えて、やっぱり自分のスタイルで戦うのがいい、となったと思います」

 ――ラスベガスでの最初の試合が終わって原点に戻った?

 「今までで一番ショックな試合だった。スパーリングで調子が良くて自信満々、これならいけると思った時につぶされた感じだったんですよ。あれほど自信を粉々にされた試合はなかった。でも、原点に戻ったとかではなくて、たまたまです。1月の試合へ向けたスパーで相手をどんどん倒したんです。その前に中へ入られてパンチをもらって、なぜだろうと考えたら、後ろ足の右膝が曲がっている。踏ん張りが利いていないと怒られたりするうちに、じゃあ逆の足で踏ん張ればと思って、足のバランスを少し考えてやってみたら倒せた。これ、いいかもと感覚をつかめた」

 ――一つ感覚をつかんで流れが良くなった。

 「流れはいいと思う。1試合だけなら相手が弱い、まぐれで終わったかもしれないけど、その後も倒せているので。足のバランスの感覚も大事だけど、他にも練習でいろいろなことが重なった。体ごと打つのではなく、しっかり拳で打つ。手が前へ出ていく大切さも感じることができた」

 ――昨年7月のラスベガスでの2戦目は、前年のことが頭に浮かんだ?

 「もちろん浮かびました。同じように、やりにくい相手だったので。でも結果的に倒せましたから。全ては結果論なんです。次も倒せば村田いいねとなるし、そうじゃなければ何だよ期待したのに、となる。結果が全ての世界なので、昨年で何かつかんだとか開眼したとか、自分では言えないですよ。ただ、この4試合は良かったという事実はあるので、もちろん自信にはなってます」

 ――いきがることもなくなった。

 「もう、ありのままでやってます。カッコつけるのはしんどいですね。本当にカッコ良ければカッコつける必要もないんですが。ボチボチでいいです。と言ってるけど、世界王者になって何億円も稼ぎ出したら変わるかもしれません(笑い)」

 ◆村田 諒太(むらた・りょうた)1986年(昭61)1月12日、奈良市生まれの30歳。南京都高―東洋大―東洋大職員。高2で高校3冠を達成するなどアマ通算138戦119勝(89KO・RSC)19敗。11年世界選手権ミドル級で銀メダルを獲得し、12年ロンドン五輪同級では日本勢48年ぶりとなる金メダルを獲得した。13年8月プロデビュー。プロ通算12戦全勝(9KO)。身長1メートル82の右ボクサーファイター。家族は夫人と1男1女。

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2017年1月5日のニュース