阪神・湯浅 別当薫さんに飛躍誓う 故郷・三重県尾鷲市の記念碑訪問 「少年野球で銅像を掃除しました」

[ 2022年12月30日 05:15 ]

阪神・湯浅
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 阪神の湯浅京己投手(23)が29日、故郷の三重県尾鷲市の尾鷲市営球場に建つ別当薫記念碑を訪ね、今季の躍進を報告、来季の飛躍を誓った。

 1948年に阪神入りし、ダイナマイト打線の中核を担った別当薫氏(故人)は父親の出身地で本籍地の尾鷲を「第二の故郷」と呼んだ。頻繁に訪れ、少年野球教室や大会などを開催していた。

 湯浅は今月15日に帰郷した際、講演会で「別当さんの銅像を少年野球の時に掃除していた。大会にも参加したことがあります」と話していた。別当氏の精神を引き継ぐかのように、この日、地元少年野球チームにユニホームを寄贈した。

 記念碑に参った際、湯浅は阪神往年の名三塁手、三宅秀史氏(故人)の遺影を手にしていた。昨年他界した三宅氏も晩年を三重県で過ごし、尾鷲の人びととも親交が深かった。

 湯浅は尾鷲にゆかりのある猛虎の先人たちに見守られていた。

 ▽別当 薫 1920年生まれ。旧制甲陽中(現甲陽学院高)では春夏3度の甲子園出場。慶大、全大阪を経て48年に阪神入りし、ダイナマイト打線の中軸を担った。2リーグ分立で毎日(現ロッテ)に移籍した50年、打率.335、43本塁打、34盗塁でプロ野球初のトリプルスリーを達成。52年から監督を兼任し、57年限りで引退後も大毎、近鉄などで監督を務めた。88年野球殿堂入り。99年4月16日、心不全のため78歳で死去。

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2022年12月30日のニュース