巨人・桜井俊貴 「よだれを流しながらいけ」 原監督の助言で変貌「鬼の形相」に

[ 2022年12月30日 05:45 ]

19年は8勝を挙げるなどリーグ制覇に貢献した桜井(撮影・島崎 忠彦)

 惜しまれつつ引退するベテランもいれば、思うように活躍できずに現役を終える若手もいる。2回に分けて紹介する、年末恒例の「惜別球人」。プロ生活の経験や思い出を胸に、新たな道へ進む野球人に、幸あれ。

 【巨人・桜井俊貴】遅咲きの桜が、第二の人生では花開く逸材を探し求めることになる。スカウトに転身した桜井は「チームの若手と競争できるような人材を送り込みたい」と思い描いた。

 幼少期は内気な性格だった。中学の文集には短所を「消極的なところ」と書いた。集合写真ではいつも最後列。高校は公立の進学校・北須磨で、本気でプロを目指すようになったのは立命大4年の時だ。直球が常時140キロ台後半になり、視察するスカウトの存在が意識させた。だからこそ「プロに入りたい選手も多いと思うので手助けができれば」という強い思いがある。

 15年ドラフト1位で入団も、1年目の初登板後に右肘痛を発症。初勝利は19年、プロ4年目だった。同年現場復帰した原監督から開幕直後に「よだれを流しながらいけ」と促され、相手をにらみつける鬼の形相に変貌した。同年は8勝。5年ぶりのリーグ制覇に貢献した。

 今オフ、戦力外通告を受けトライアウトに参加。5日が過ぎてもオファーはなく、引退を決断した。19年に結婚した夫人に「やめるわ」と告げ「自分の思ったようにするのがいいと思うよ」と寄り添われた。今は伝統球団を下支えする新たな役目へ、よだれを垂らしている。(神田 佑)

 ◇桜井 俊貴(さくらい・としき)1993年(平5)10月21日生まれ、兵庫県出身の29歳。小4で野球を始め、多聞東中まで軟式。北須磨では甲子園出場なし。立命大を経て、15年ドラフト1位で巨人入団。プロ初勝利した19年に自己最多8勝を挙げた。1メートル82、89キロ。右投げ右打ち。

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