能見との出会いが全てを変えた 阪神の“教え子”岩貞と才木の見える景色を、そして野球人生を

[ 2022年9月25日 07:00 ]

岩貞祐太(右)と阪神時代の能見篤史
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 今季限りでの現役引退を表明したオリックスの能見篤史投手兼任コーチ(43)は、20年まで在籍した阪神の後輩たちのキャリア形成に少なからず影響を及ぼしてきた。師弟関係だった岩貞祐太投手(31)、プロ入り前に交流のあった才木浩人投手(23)がその存在の大きさと感謝を口にした。

 普段は冗談の多い男が感傷的だった。「ちょっと“しらふ”ではきついです…寂しい」。岩貞は、その質問に肩を落として、そう言った。能見篤史の引退――。それは9年目左腕にとって決して小さなことではなかった。

 「僕がプロ野球選手の一歩目を切るための準備を一緒にしてくれた。僕の基礎、地盤は全て能見さんに教えてもらったこと」。プロ入り前から目標だった。横浜商大2年時、不調に陥った際に参考にしたのが同じ左腕で阪神のエースだった能見の投球フォーム。13年、ドラフト1位で入団が決まり「能見選手を目指す」と口にしたのも自然な流れだった。

 プロ2年間で結果が出ず、オフに弟子入りを志願。16年1月から始まった“チーム能見”での自主トレが分岐点になった。下半身主導の投球フォーム、チェンジアップの習得…助言をもとに手にした武器は少なくない。そのシーズンで自己最多の10勝。その後、浮き沈みこそあったが、今年8月には国内FA権も取得した。

 「2年目のオフに自主トレをお願いした。今年FA権を取れたのも、プロ3年目からの7年なので。能見さんのいないタイガースに入っていたら、全く違った野球人生になっていた」

 引退の報に触れ、師匠にはLINEで感謝を告げた。

 「能見さんはあまり褒めることはしないけど、“もっと自信を持て”“自分の力やから”“人としても一人前になれてるよ”という言葉があって。本当に泣けるというか…。大学時代は目標の選手、プロに入って人間性も知ってからは、憧れの人です」

 才木は、能見にかけられた一言を原動力にプロの扉を開いた。「こうやってプロで野球ができてるのも能見さんの励ましの一言があったからです」。中学3年の冬にタイガースの選手がゲストだった野球教室に参加した。その際、能見と会話する機会に恵まれ、進学の話題になった。「(強豪の)私立からは声はかかってないんで、公立に行きます」と伝えると「見返してやれよ」と肩を叩かれた。

 「能見さんからしたら大した言葉じゃないかもしれないけど、僕からしたら凄く大きかった。格好良いな、こんな選手になりたいなと。1つの指標、目指す選手になった」。プロ入り後、改めてあいさつすると「お前、すごいな」と喜んでくれた。

 2年目は1軍でのロッカーが隣。いろんな話をしてもらった。能見の退団が決まり、最後のタテジマ姿となった20年11月11日のDeNA戦。右肘手術後でまだ右腕にギプスが付いていたが、美しいワインドアップを目に焼き付けた。試合後、「(ケガは)大丈夫だよ、頑張れよ」と、あの時と同じように励まされた。

 「中学生の時にかけられたあの言葉は今でも鮮明に覚えている。能見さんみたいに、さりげない一言で子供に勇気を与えられる選手になりたい」

 能見篤史という人物との出会いが2人の見える“景色”を変えた。(遠藤 礼)

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