【内田雅也の追球】どこを見て戦うか 逆転サヨナラ負けの阪神が見ていた現在と未来

[ 2020年10月16日 08:00 ]

セ・リーグ   阪神3-5中日 ( 2020年10月15日    ナゴヤドーム )

<中・神21> 1軍合流し、練習を終えた藤川 (撮影・平嶋 理子)                                                           
Photo By スポニチ

 よく悪夢などと呼ぶが、これが現実である。阪神はクローザーが逆転サヨナラ弾を浴びて敗れた。

 ロベルト・スアレスでやられたら仕方ない、という考え方はある。

 ただし、9回裏だけをとっても、1死一塁、左打者の遠藤一星で左翼手の守備位置はもっと左翼線寄りではなかったか。スアレスの剛球はライン際に飛ぶ。左翼線寄りのポテン打に悔いが残る。

 2死二、三塁となって高橋周平には敬遠策もあった。むろん首脳陣も考えたろうが、満塁にすれば、押し出しを嫌って腕の振りが緩むのを怖れたか。被弾は159キロ剛球で緩みはなかったが、真ん中で甘かった。

 思えば、前半の拙攻、拙守が問題だった。1、4回裏の失点には投手のベースカバー遅れや外飛判断ミスがあった。2、4回表の好機は走塁判断ミスや併殺打もあった。

 結果論だと言うかもしれないが、野球では、こうした敗因分析がいくらもできる。そこが見る者にとってのだいご味でもあるのだが、当事者には突き詰める姿勢がいるだろう。

 もう一つ大切なのは、優勝の可能性がほぼ消えた今、シーズン終盤の戦い方である。どこを見て戦うのか。現在か、未来か。目の前か、来季か。

 監督に求められるのは――難しいことだが――両方の目である。

 矢野燿大の目は来季も見ていた。先発で起用した新人・井上広大と小幡竜平を試合終了まで使い続けた。井上は好機凡退を繰り返し、小幡は外飛3本など、ともに無安打だった。それでも終盤しびれる展開でグラウンドにいたことは未来への糧となるだろう。

 監督ウディ・アレンの映画『ミッドナイト・イン・パリ』では、ベル・エポック(良き時代)と呼ばれる1890年代のパリにタイムスリップする。主人公の男性ギルに1920年代から来た女性アドリアナがこの時代にとどまると告げる。ギルは引き返そう、引き返すべきだと説得する。

 「もし、この時代に残っても、この時代がすぐに現在になる。他の時代が黄金時代だって考え始めるのさ。それが現在なんだ。現在には不満を感じるものなんだ。なぜなら、人生って不満を感じるものだから」

 過去は美しく、現在はいつも不満――そういうものかもしれない。

 きょう16日は阪神にとって思い出深い日だ。1985(昭和60)年、21年ぶりの優勝を決めた。過去は美しく輝いている。先の映画では米作家ウィリアム・フォークナーの名言が紹介される。「過去は死なない、過ぎ去りさえしない」

 今季限りで引退する藤川球児が1軍に合流し、試合前に話していた。

 「今まで目の前で必死だった。昔こんなことあったなとか、そういう感情は自然と浮かんでくると思う」

 試合後には花束贈呈に場内一周もした。感傷に浸ったことだろう。残り21試合、藤川は長年応援してくれたファンと別れを告げる旅となる。藤川もファンも、思い出とともに巡る日々となる。恐らく藤川の目には過去の美しい光景が映ることだろう。

 かつて金本知憲が引退表明後も出場して、各地で喝采を浴びた。スター選手に与えられた特別な日々である。こちらも藤川との残された日々を思いをこめて鑑賞したいと思っている。

 今を生きる選手たちは目の前に必死である。常に不満を抱くのはファンも同じである。過去、現在、未来のどこに視点を置くかで見える世界は違ってくる。=敬称略=(編集委員)

続きを表示

2020年10月16日のニュース