演出の「遺恨カード」で本気の大乱闘 カネやん“足蹴り”にビュフォード“首投げ”

[ 2020年4月23日 07:00 ]

ラフプレーに激怒したロッテ・金田正一監督が太平洋・宮寺に足蹴り(1974年4月27日撮影)
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 【Lega-scene あの名場面が、よみがえる。~乱闘編~】昭和、平成の名場面を本紙所蔵の秘蔵写真からお届けする「Lega―scene(レガシーン)」。プロ野球乱闘編の第3回は1974年4月27日のロッテ―太平洋戦。本塁突入時のラフプレーを機に、ロッテ・金田正一監督(当時40)を中心に両軍が入り乱れました。

「遺恨カード」
73年から74年にかけ
ロッテと太平洋の対戦はそう呼ばれた。ロッテ・金田正一監督と
太平洋・稲尾和久監督の舌戦
ファンの暴動、機動隊も出動した。
74年4月27日の大乱闘は
その象徴だった。

ロッテ・弘田澄男と
太平洋の捕手・宮寺勝利が
本塁上で交錯。
タッチアップした弘田を
宮寺が足を掛けるようにブロックした。
怒った金田監督が宮寺を蹴飛ばす。
三塁手ドン・ビュフォードが
襲いかかった。
両軍入り乱れての大乱闘だ。

73年開幕前。
ドジャースのジム・ラフィーバーを
巡って両チームは争奪戦を展開。
敗れた太平洋が獲得したのが
ビュフォードだった。
でも、それは伏線でしかない。

裏話がある。
このときの太平洋は観客減
球団経営に悩んでいた。
そこで「遺恨カード」を仕掛けた。
金田監督にも持ちかけ、ファンをあおる。73年から舌戦、度重なる乱闘…。
「今日も博多に血の雨が降る!」
そんなキャッチコピーで
この試合の乱闘シーンを
ポスターにまでした。
ただし、舞台裏を知るのは
一部の関係者だけ。
知らない選手たちはヒートアップする。
金田監督まで本気になってしまった。(敬称略)

 ≪「首投げ」「殴打戦」“投打”で大暴れ≫「“総力”の殴打戦」「逃げる宮寺を“3段キック”」「ビュフォード お返しの首投げ」…。当時の東京最終版1面には、格闘技のような見出しが並んだ。最も派手に暴れた金田監督とビュフォードが退場処分に。金田監督は「弘田の足が折れてしまう」、宮寺は「弘田がスライディングをしないからだ」、ビュフォードは「ああでもしないと金田監督の暴行を抑えることができなかった」と、それぞれに主張した。金田監督は口の中と右手を負傷。弘田は左太腿を痛めた。1―2で試合に敗れた太平洋は負傷者ゼロだった。

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