国学院大・伊藤雅人、野球「卒業」 夢の海外勤務へ!視線は東南アジア「さらに豊かに」

[ 2019年12月29日 05:00 ]

「海外で働くため、苦手の英語を勉強中」と苦笑いする国学院大・伊藤
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 東都大学野球リーグ各校の4年生の進路が出そろった。在学中に2度ベストナインに輝き、社会人からも誘われた国学院大・伊藤雅人三塁手(22)は中学時代から抱いていた海外勤務を叶えるため、野球から「卒業」する。

 伊藤が吹っ切れた表情で切り出した。「中学の頃から海外で働くのが夢でした。東南アジアなど活気ある国の生活をさらに豊かにしたかった。助けると言うより、一緒になって良くしたい」。空調設備の設計・施工では国内シェアNo.1の「新菱(しんりょう)冷熱工業」に入社が内定。シンガポールの統合型リゾート、マリーナベイ・サンズの空調設備も担った会社で来春から働く。大学で野球は一区切り。11月には貿易業界で働く父・裕昭さん(42)を頼り、マレーシア、フィリピン、ベトナムを周遊してきた。

 3年春、4年春と「三塁手」で東都大学リーグベストナインに選出された。4年時には社会人野球5チームから誘いも受けた。「もし社会人に入ったら40歳頃まで野球を続けられる自信はあった。でもそこから海外勤務は厳しい。それなら20代で海外に飛び出そう」。ただ野球人としてあこがれは捨てきれない。「本当の夢はプロ野球選手になって稼いだお金で(途上国支援に)役立てたかった」。プロ志望届提出の動機は迷いを断ち切るため。「社会人で2年プレーしてからプロの指名を待てば」との助言は聞かなかった。関東一で同期だった楽天・オコエ瑠偉外野手(22)には心情を伝えた。「指名がなかったらオレ野球辞めるから(スカウトに)伝えておいてよ」とメールとすると「分かった。頑張れよ」と返信があったという。それも昔のことだ。

 15年夏の甲子園で4強に進出すると同年秋、東京都高校選抜の一員としてのミャンマー・シンガポール遠征が人生を左右したのかもしれない。「すごい熱気でした。夢がより具体的になった」。

 野球を離れた現在は、ダイエットしつつアルバイト三昧。2月に再びマレーシアへ行く旅費捻出に精を出している。英会話も同時進行で勉強中。入社して半年後の海外研修を経て、3年目には夢を叶える赴任先が決まる。

 ◆伊藤 雅人(いとう・まさと)1997年(平9)9月4日生まれ、埼玉県出身の22歳。小1から野球を始め、中学時代は春日部ボーイズでプレー。関東一ではオコエより早く1年夏の東東京大会予選からレギュラーに。甲子園には春夏2度出場。大学では通算68試合に出場し210打数51安打の打率・243、3本塁打、20打点。1メートル78、82キロ。右投げ右打ち。

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