西武、パ・リーグ初の球団9000号到達も…意外だった選手の反応

[ 2019年5月20日 09:00 ]

<西・楽2>9回無死、メヒアのソロ本塁打でチーム通算9000本塁打達成を示すビジョン(撮影・尾崎 有希)
Photo By スポニチ

 4月10日の楽天戦で西武・メヒアが球団9000号本塁打を記録した。3点を追う9回に代打で出場し、守護神・松井から右翼席へ2号ソロを運んだ。巨人に次ぐ2球団目。もちろんパ・リーグでは初の大台で、注目していた。

 これまで区切りのアーチは秋山幸二(4500)、清原和博(5000)、石毛宏典(5500)ら名だたる看板選手が放ち、花を添えてきた。新たな球団史に名を刻む一本。しかし、メヒアは「あと1本ということは知っていたけど、打席の中では特に意識することはなかった」と、あっさりしたものだった。リーチがかかってから何人かに話を聞いたが、メヒア同様、その名誉を狙っている選手がいなかったのは意外だった。

 15年9月12日の日本ハム戦で8500号を放った秋山も、その一人だ。当時を「あの時は200安打が近くて、それどころじゃなかった」と回想。今回の節目を前にしても「特に何も思うことはないです。お金がもらえるわけじゃないでしょ?」と冗談めかした。

 「マー君(田中将大)です。カットボールの内角でした」と8年前の本塁打を鮮明に振り返ったのは、11年5月6日の楽天戦で8000号を放った栗山だ。ただ、9000号に関しては「全然、関係ないです」ときっぱり。「前はたまたまだった。練習では(スタンドに)入るけど、なぜか試合では入らない」と話した。球界を代表する長距離砲の山川と中村まで「意識しない」と口をそろえ、拍子抜けしてしまった。

 しかし、次の大台については、栗山と山川が目の色を変えて話していた。「1万号は打ちたい」。ひょっとすると、他の多くの選手も同じ気持ちかもしれない。8000号から9000号までは8年かかった。まだまだ先のことだが、近づいてきた時に、改めて聞いてみたい。(記者コラム・武本 万里絵)

続きを表示

この記事のフォト

2019年5月20日のニュース