日本ハム石井“サイレントK”の恩返しは続く 苦難を支えた亡き父の言葉「野球は楽しく。自分を信じて」

[ 2018年12月8日 10:00 ]

9月30日、引退試合の西武戦で高校の後輩・秋山(奥)を左飛に抑える石井。今後は裏方で日本ハムを支える
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 【決断 ユニホームを脱いだ男たち】先天性難聴を抱えながらプロ野球の厳しい世界で戦い、14年の選手生活に終止符を打った「サイレントK」。日本ハム・石井は補聴器のスイッチを切り、静寂の中1人で奮闘してきたマウンドと同様、ユニホームを脱ぐ覚悟も1人で決めた。

 右膝手術明けの昨季の登板は8試合。今季も開幕から2軍暮らしが続いた。夏場すぎ。「そろそろ(引退)かなと思った」。それでも「野球を続けたい気持ちもあった」。考え込む時間が増えた。葛藤の日々。球団との話し合いをする中で「他球団に行っても先は短いと分かった」。最後は誰にも相談せずに引退を決め「周りもみんなびっくりしていた。父親に最後の登板を見せてあげたかったな」。一番の心残りは10年前に小腸がんのため他界した父・清二さん(享年60)に引退試合を見せられなかったことだった。

 現役時代の心の支えは父の言葉だった。中日から横浜(現DeNA)に移籍した直後の08年。深夜に病院から父の訃報を受けた。最期はみとれなかった。父からよく言われていた言葉は「野球は楽しく。自分を信じて投げなさい」。厳しい練習、試合の場面では父の言葉を思い浮かべてきた。「つらいことの方が多かったけど、野球を楽しもうと思って投げてきた」。今は野球人生は楽しかったと胸を張って言える。

 12年の巨人との日本シリーズ第6戦。阿部に決勝打を許して敗戦投手となった。現役時代はその写真を自室に飾っていた。心が折れそうになったときは、その写真が心を奮い立たせてくれた。引退した現在は、その写真に代わって引退試合で横浜商工(現横浜創学館)の後輩、西武・秋山と対戦している写真が飾られてある。中堅カメラから真剣勝負を繰り広げている2人を写した一枚。この写真を見ると「もう終わったんだなあと思う」としみじみと振り返る。

 日本ハムでの打撃投手として新たなスタートを切る。「球団に恩返しをしないといけないことがたくさんある」。来季に向けて今でも現役時代と変わらず体を動かす。3年ぶりの日本一を狙うチームを今度は裏方として支える。(東尾 洋樹)

 ◆石井 裕也(いしい・ゆうや)1981年(昭56)7月4日生まれ、神奈川県出身の37歳。先天性の難聴を患いながら、小2で野球を始める。横浜商工(現横浜創学館)―三菱重工横浜クラブを経て04年ドラフト6巡目で中日入団。08年6月に横浜(現DeNA)、10年4月には日本ハムへいずれもトレード移籍。1メートル78、80キロ。左投げ左打ち。

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