【決断】中日・多村 ボロボロの体に染みた王さんの言葉

[ 2016年12月24日 10:18 ]

決断2016ユニホームを脱いだ男たち=中日・多村仁志外野手(39)

10年、ソフトバンクの優勝パレードで笑顔の王会長(右)と多村
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 うれしいサプライズだった。妻、3人の娘たちが自宅のある横浜から駆けつけたことを知ると、多村は涙をこらえることができなかった。12月3日。お世話になった九州の関係者にあいさつ回りをしていた時、内緒で福岡の後援会がヤフオクドームで「引退式」を企画してくれたのだ。

 「応援してくれた方々に引退試合を見せることができなくて、申し訳ないと思っていた」。150人以上の知人らの前で打席に入り、安打を放った。家族の前で胴上げもされた。「僕は本当に人に恵まれ、最高の野球人生を過ごすことができた。本当に幸せ者です」。プロ生活22年、どんな時も応援し続けてくれた人たちに心から感謝した。

 昨オフ、DeNAから戦力外通告。現役続行を希望して中日と育成契約を結んだ。背番号215、年俸300万円。「支配下登録をされなければ身を引こうと思っていた」。10月1日、名古屋市内の球団事務所で自ら現役引退を表明した。

 横浜高から94年ドラフト4位で横浜(現DeNA)に入団。04年には3割、40本塁打、100打点をマークした。王貞治監督が指揮を執った06年第1回WBCではチームトップの3本塁打、9打点の活躍を見せ、世界一に貢献した。同年オフにソフトバンクにトレード移籍した。思わぬトレードに戸惑いを隠せない中で「縁を大事にしていこう」。声を掛けてくれたのはWBCでともに戦った王監督だったからだ。その人間力に影響を受け、尊敬してやまない人物。10年には自己最多の140試合に出場し、自己最高の打率・324で自身初めてのリーグ優勝も経験した。王氏に引退を報告すると「本当にボロボロになるまでよく頑張った。これからはその経験を一つでも多く伝えてほしい」とねぎらってくれた。故障と闘い続けた体に、その言葉は染みた。

 世界一と日本一を味わい、育成も経験した選手はいない。今後は「まずは外から野球を学び、今までやれなかったことにもチャレンジしたい」と語る。11月に侍ジャパンの強化試合で解説者を務めた。12月中旬には学生野球資格回復研修も受けた。いつの日かまたユニホームを着て、育ててくれた野球界に恩返しをする。 (細川 真里) =終わり=

 ◆多村 仁志(たむら・ひとし)1977年(昭52)3月28日、神奈川県生まれの39歳。本名・仁。横浜高から94年ドラフト4位で横浜入団。04年に40本塁打、100打点をマーク。06年オフにトレードでソフトバンクに移籍、12年オフに再びトレードでDeNAに復帰。15年オフに戦力外となり、中日と育成選手契約を結んだ。10年ベストナイン、06年WBC日本代表。1メートル80、80キロ。右投げ右打ち。

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