独立L→育成枠の苦労人…星野「野球っていいな」プロ1勝

[ 2012年5月28日 06:00 ]

<巨・日>プロ初勝利の巨人・星野はお立ち台でウイニングボールをしみじみと見つめる

交流戦 巨人2-1日本ハム

(5月27日 東京D)
 育成出身の苦労人が史上初の快挙を成し遂げた。巨人の3年目左腕・星野真澄投手(28)が、27日の日本ハム戦(東京ドーム)に2番手で登板。3回をパーフェクトに抑え、通算41試合目の登板でプロ初勝利をあげた。独立リーグからドラフトで入団した選手としては初の勝利投手となった。

 夢にまで見た東京ドームのお立ち台。緊張した面持ちで壇上に上がった星野が、感動と笑いを誘った。

 「うれしい以外に言葉がない。長かった。これ、勝ちがついちゃうんじゃないかな?と思った。(本当に)ついちゃいましたよ。野球っていいな、と思った」。しんみり聞き入っていた球場全体が一転、ドッと沸いた。

 過去2年は制球難に苦しんだ。特に昨季は3試合登板で、防御率13・50。そこで今年の開幕直後に思い切って左肘の位置を下げた。「スライダーでいつでもカウントを取れるように」と横手投げに変えた。この日の直球は最速142キロ。球速は約6キロ落ちたが、それを補って余りある制球力を手にした。3回を無安打無失点の完全投球。好投が援護点を生んだ。

 愛知工大から新潟県の医薬品卸売業者のバイタルネットに入社。「倉庫番をしてました」。朝9時から夕方5時まで勤務後、練習に明け暮れた。約半年間は積雪や凍結でグラウンドが使えず、狭いビニールハウス内の特設ブルペンで投げ込んだ。08年の都市対抗2次北信越大会では決勝に進出。星野目当てに大勢のスカウトが集結し絶好のアピール機会だったが、登板中に肺気胸で失神し試合後は病院に運ばれた。その年のドラフトでは指名漏れ。傷心の中、環境を変えようと独立リーグの信濃グランセローズへ。生活を切り詰めながら月給15万円で暮らした。そして09年に巨人から育成ドラフト1位で指名され、待望のプロ入り。翌年3月に支配下登録された。

 先発が3回で降板する危機を救い交流戦首位をキープ。原監督は「特に星野が非常に良いリズムで。劣勢の状況を変えてくれたと思いますね」と手放しで喜んだ。母・良子さんは星野が埼玉栄1年時に乳がんで死去した。その後、男手ひとつで育ててくれたのが父・真一さん(62)。「親父に渡したい。一人で苦労して育ててくれたので」と星野はウイニングボールをポケットへ。母の墓前にささげるという大きなジャビット人形を抱え、初勝利までの長かった道のりに思いをはせていた。

 ▼巨人・山口(4番手で1回2/3無失点。同じ育成出身として星野の白星をつなぎ、開幕から22試合連続無失点)抑えられて良かったです。

 ◆星野 真澄(ほしの・ますみ)1984年(昭59)4月4日、埼玉県生まれの28歳。埼玉栄から愛知工大を経て07年にバイタルネット入社。09年にBCリーグ・信濃に入団してチームトップの8勝。同年の育成ドラフトで巨人から1位指名を受けた。10年3月17日に支配下選手登録された。名前の由来は元巨人の桑田真澄氏のファンだった父が命名。1メートル81、78キロ。左投げ左打ち。

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