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米倉健司さん死去 88歳 世界王者5人生んだチャンピオンメーカー

[ 2023年4月22日 04:30 ]

元ヨネクラジム会長の米倉健司氏(2011年)
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 プロボクシングで世界王者5人を育てた元ヨネクラジム会長の米倉健司(よねくら・けんじ=本名健治=けんじ)氏が20日、死去した。88歳だった。弟子の大橋秀行・大橋ジム会長(58)が21日に明らかにした。葬儀は家族葬で執り行われる。1956年メルボルン五輪代表で、プロでは日本フライ級、東洋バンタム級王座を獲得。高齢を理由に17年8月にジムを閉鎖するまで会長を54年務めた。

 晩年の米倉氏は、医師になった長男がいる栃木県那須塩原市で療養生活を送っていた。よく面会に訪れていた大橋会長によると、井上尚弥(大橋)ら最近の選手について説明してもすぐに忘れてしまう半面、「昔の出来事は昨日のように覚えていた」という。

 米倉氏は福岡高でボクシングを始め、明大4年時の56年に全日本選手権フライ級で優勝。同年のメルボルン五輪代表に選ばれ、3回戦に進出した。58年にプロ転向して国内初となるA級(8回戦)デビューを果たし、59年1月に当時最速記録の5戦目で日本フライ級王座を獲得。同年8月の7戦目で世界フライ級王者パスカル・ペレス(アルゼンチン)に挑戦したが、0―3で判定負けした。60年5月に世界バンタム級王者ホセ・ベセラ(メキシコ)に1―2で判定負けし、2度目の世界挑戦も失敗。62年12月に東洋バンタム級王座5度目の防衛戦で青木勝利(三鷹)に判定負けし、王座から陥落すると引退を表明した。

 翌63年、都内にヨネクラジムを開設。世界王者は柴田国明、ガッツ石松、中島成雄、大橋秀行、川島郭志の5人、東洋太平洋王者は9人、日本王者31人を輩出し、名門の帝拳、三迫、協栄などと覇を競った。練習生がそろって準備運動を始める「道場式」の練習法が独特で、基本に忠実ながら選手の個性を伸ばす指導法で実力を発揮させた。有望な選手は自宅に住まわせて朝は一緒にロードワークを行うなど、プロ選手育成に情熱を注いだ。

 一方で、プロ重視でフィットネス目的の練習生を入門させなかったこともあり、00年代に入ってからジム会員が減少。70代までミットを持ち続けていた米倉氏も高齢となり、後継者も不在とあって名門ジムは17年8月に閉鎖となっていた。

 ◆米倉 健司(よねくら・けんじ)1934年(昭9)5月25日生まれ、福岡県直方市出身。福岡高在学中にボクシングを始める。明大在学中の56年にメルボルン五輪に出場。58年に日興ジムでプロデビューし、5戦目で日本フライ級王座を獲得。60年に東洋(現東洋太平洋)バンタム級王座を奪取して4度防衛。プロ通算戦績は24戦13勝(1KO)10敗1分け。引退後、63年にヨネクラジムを創設。17年8月の閉鎖まで世界王者5人を育成。86年から89年まで全日本ボクシング協会(現日本プロボクシング協会)会長も務めた。

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