×

村田諒太が引退宣言 年間最高試合ゴロフキン戦が花道に「僕の中では最後の試合」

[ 2023年2月23日 04:35 ]

表彰に向かう村田諒太(撮影・篠原 岳夫)
Photo By スポニチ

 プロボクシング前WBA世界ミドル級スーパー王者・村田諒太(37=帝拳)が事実上の引退宣言を行った。22日に都内で開催された22年度年間表彰式に出席し、年間最高試合に選ばれた昨年4月9日のゲンナジー・ゴロフキン(40=カザフスタン)とのミドル級王座統一戦が「最後の試合と思っている」と明かした。日本人で初めて五輪とプロの両方で世界の頂点に立った男が、ついにグローブをつるす時が来た。

 表彰式後、囲み取材に応じた村田の口調に迷いはなかった。両者のファイトマネーが合計20億円以上の興行規模となったゴロフキン戦について「日本では金額的には一番大きかっただろうし、ミドル級の統一戦はなかなかないので、貴重性という面で良い大会だったのでは」と総括。年間最高試合選出の感想を求められると「あの試合が僕の中では最後の試合と思っている。最後の試合が評価されたことは凄く感慨深い」と引退の意思を明らかにし、最後の試合か、との念押しにも「まだ発表できていないだけの話で、個人的にはそう思っています」と強調した。帝拳ジムの本田明彦会長も「本人が言ったのなら、そういうことなのだろう。相談はずっと前から受けていたが、踏ん切りがついたのではないか」とコメントした。

 昨年4月、コロナ禍による約2年3カ月のブランクを経て、対戦を熱望していたミドル級のスーパースター、ゴロフキンとのWBA&IBF王座統一戦が実現。9回TKO負けで王座から陥落後は進退を明言してこなかったが、現役続行に前向きではなかった。昨年10月に「客観的に見てやめるべき立場のところ、リスクを背負うだけの覚悟がない」と胸中の葛藤を明かし、同12月には「ボクシングを続けることは現実的には考えられない」と引退を示唆していた。

 両親が離婚して荒れていた中学時代、自身の存在価値を示してくれるボクシングと出合い、戦い続けてきた。選手層が厚い世界に比べ、練習相手も見つからない日本では不可能とされたミドル級の金メダルを12年ロンドン五輪で獲得。プロ転向後は常に注目を浴びながら、簡単に試合を決められないマッチメークの厳しさや、世界初挑戦での疑惑の判定を乗り越え、伝統のミドル級で2度世界王者になった。

 世界に対抗するには軽量級という日本人の常識を覆し、道なき道を切り開いてきた競技人生が、ついに終着点を迎える。「格好悪い生きものにはなりたくないので、太らないようにトレーニングしている」。現状を説明した村田の今後は未定。「与えられたこと、できることはやる。やれることをやるだけです」と話した。

 ☆村田諒太(むらた・りょうた)
 ☆生まれ、サイズ 1986年(昭61)1月12日生まれ、奈良市出身の37歳。身長1メートル84、リーチ1メートル90。右ストレートが武器のボクサーファイター。

 ☆アマ戦績 南京都高(現京都広学館高)で高校5冠。東洋大1年で全日本選手権ミドル級優勝。08年北京五輪出場を逃し一度引退、翌年復帰。11年に日本人初の世界選手権決勝進出でミドル級銀、12年ロンドン五輪同級金メダル。138戦119勝(89KO)19敗。

 ☆プロ戦績 13年にデビューし2回TKO勝ち。17年10月、WBA世界ミドル級王座獲得。18年4月、1度目の防衛に成功。同年10月に陥落も、19年7月返り咲き。同年12月、防衛成功でスーパー王座に認定。19戦16勝(13KO)3敗。

 ☆趣味 海外ボクシングを見ること。中学生の頃からWOWOW「エキサイトマッチ」を見続けており、自他ともに認めるボクシングマニア。

続きを表示

2023年2月23日のニュース