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オカダ 闘魂!IWGP新王者 猪木さんに捧ぐ延髄切り「僕たちの戦いは届きましたか?」

[ 2023年1月5日 04:40 ]

IWGP世界へビー級選手権60分1本   〇オカダ・カズチカ 33分3秒 片エビ固め ジェイ・ホワイト● ( 2023年1月4日    東京ドーム )

ホワイト(左)に延髄斬りを決めるオカダ(撮影・島崎 忠彦)
Photo By スポニチ

 団体の創設者で、昨年10月1日に逝去したアントニオ猪木さん(享年79)に勝利を届けた。メインのIWGP世界へビー級選手権は、オカダ・カズチカ(35)が王者ジェイ・ホワイト(30)を破り、7カ月ぶりに至宝ベルトを奪還。猪木さんの代名詞「延髄斬り」で流れを変え、最後は必殺レインメーカー(短距離式ラリアット)で粉砕した。試合後には2万6000人超の観衆と「1、2、3、ダァー!」を絶叫。猪木イズムの継承を誓った。

 この瞬間を待ち望んでいた。場内を包み込む観客の歓声、そして割れんばかりのオカダコール。ベルトを奪還した新王者は半失神状態のホワイトを尻目に両手を広げて誇らしげに仁王立ち。その目はみるみる赤くなった。「これだけお客さんが入って試合ができて本当に良かったです」。そして「猪木さん、僕たちの戦いは届きましたか?猪木さんがつくった新日の闘魂を受け継いで、100年、200年と新日が続くように盛り上げていきます」と絶叫した。

 過去の対戦で1勝4敗の天敵にこの日も苦しんだ。猛攻を仕掛けるも死んだふり作戦の相手に反撃を許した。25分過ぎには「掟(おきて)破り」のレインメーカー式ラリアット2発を食らって大の字に。30分過ぎにも逆水平2発で簡単に倒れた。しかし流れを変えたのは“アントニオ猪木の必殺技”だった。絶妙なタイミングで延髄斬りを相手の後頭部に叩き込む。今度はオカダが「掟破り」のブレードランナーを繰り出し、最後は渾身(こんしん)の力でレインメーカー一閃(いっせん)。ライバルの息の根を止めた。

 デビューした04年、既に猪木さんは引退していた。あまりにも遠すぎる存在だったが、団体50周年の昨年は、事あるごとに猪木さんの来場を呼びかけた。残念ながら思いは届かなかったが、猪木イズム継承を誓い、大一番に臨んだ。そして、7カ月ぶりに至宝ベルトを奪還。花道では足を止め「せっかく声が出せるのにこのまま終われないでしょ、やりましょ」と2万6000人の観衆にアピール。「猪木さん、新日本プロレスをつくってくれてありがとうございました。いくぞ~、1、2、3、ダァー!」と叫んだ。

 2023年1月4日。死闘を制し再び王者に君臨したオカダの胸中には猪木さんの有名なフレーズが思い浮かんだはずだ。「この道を行けばどうなるものか。危ぶむなかれ、危ぶめば道はなし。踏み出せばその一足が道となり、その一足が道となる。迷わず行けよ、行けばわかるさ」。オカダ・カズチカが日本マット界のエースとして引っ張る覚悟を固めた。

 ◇オカダ・カズチカ 1987年(昭62)11月8日生まれ、愛知県安城市出身の35歳。15歳で闘龍門に入門し、16歳だった04年にメキシコでデビュー。07年に新日本プロレスに移籍。12年「G1 CLIMAX」に初出場し24歳9カ月の最年少優勝記録を樹立。16年6月にIWGPヘビー級王座を獲得してから史上最多の12回連続防衛に成功。得意技はレインメーカー、ドロップキック。1メートル91、107キロ。

 ≪猪木氏が1972年1月設立≫▽新日本プロレス 日本プロレスを追放されたアントニオ猪木が1972年1月に設立。同年3月6日、大田区体育館で旗揚げした。73年に坂口征二が日本プロレスから移籍。73年4月からテレビ中継を開始した。80年代にはタイガーマスクが登場し、藤波辰爾と長州力の日本人対決などが爆発的人気を呼んだ。その後、相次ぐ選手の退団などで低迷したが闘魂三銃士の登場、棚橋弘至、オカダ・カズチカの活躍で業界の盟主に君臨する。2012年1月にブシロードが新日本プロレスを子会社化。現社長は大張高己氏。

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2023年1月5日のニュース