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元近大ボクシング部監督の31歳、浅井大貴がプロボクサーに「一戦必勝で頑張る」

[ 2020年10月11日 15:36 ]

プロテストのスパーリングに臨んだ浅井大貴(左)、相手は今年7月に東洋太平洋フェザー級王座に挑戦した殿本恭平
Photo By スポニチ

 元近大ボクシング部監督の浅井大貴(31=オール)がプロボクサーとなった。11日、大阪市内のジムでプロテストに臨み、6回戦に出場可能なB級ライセンスを取得。日本ボクシングコミッション(JBC)職員から合格通知を受け「良かった…」と涙ぐんだ。フェザー級(リミット57・1キロ)で年内にもデビューする見通し。「デビューから一戦必勝で頑張りたい」。世界チャンピオンなど大きな目標をあえて掲げず、完全燃焼することを誓った。

 アマでは監督兼任で活動していた14、15年の全日本社会人選手権ライト級連覇の実績がある。ただ、実技のスパーリングは用意された相手が悪すぎた。今年7月に東洋太平洋フェザー級王座に挑んだ日本同級16位の殿本恭平(勝輝)。プロテストは4回戦出場可能なC級なら受検者同士の対戦となることが多い。B級受検のため、いきなり猛者から“プロの洗礼”を浴びる。序盤は様子見だった殿本が2回から手数を増やすと、浅井は追い込まれる場面が目立った。それでも最終3回に“ラスト30秒”の声がかかると、リング中央で互いに足を止めて見応えある打ち合いを披露。本番に近い熱気を感じさせた。

 「メチャクチャ緊張しました。アマでは試験とかもないから。精神的に疲れて半分も実力を出せなかった」

 納得のいく出来ではなかったものの、杞憂(きゆう)だった。プロテストはライセンスにふさわしい技術があるかどうかをJBCが確認するのが目的だからだ。無事に合格した。

 浅井は浪速高(大阪)で競技を始めた。近大2年生だった09年に現役部員が逮捕される不祥事があり、同部は廃部。退学してプロ転向する仲間もいた中で、ボクシング部復活に向けて活動した。OBらの協力を得て署名を集めたほか、大学構内と最寄り駅までの商店街で“みそぎ”の清掃活動にも取り組んだ。同部は12年10月にOBでタレントの赤井英和を総監督に迎えて再出発し、同年4月に卒業したばかりの浅井が23歳で監督に就任。同部は15年6月に入れ替え戦を制し、翌年からの1部復帰を決めた。

 浅井は手などにしびれが出る頸椎(けいつい)症という故障を抱えていたこともあり、15年の全日本社会人選手権優勝を最後に選手に区切りをつけた。16年4月から浪速高で常勤講師となったものの、18年3月で退職。18年4月から大商大堺高で国語の非常勤講師を務め、同時に近大ボクシング部にもコーチとして復帰した。目標に向かって頑張る周囲の人たちに刺激を受けた。「自分はまだプロのリングで戦っていない」と競技を始めた当時の思いが再燃。16年に志帆さん(30)と結婚し、18年8月には長男の栄孝(はるゆき)君が誕生。守るべき家族がいる。気ままに自分の夢を追いかけていいものか、心はずっと揺れた。

 最終的に背中を押してくれたのは現所属オールジムの田中雅晴会長だった。浅井がトレーナーとして同ジムの練習を手伝っているうちに声をかけられた。

 「お前は挑戦せんでエエの?ケガ(頸椎症)は一生、治らんもんなんか?このままいったら一生、前に進まれへんぞ。無理やと言われても挑戦する、お前はそういう星の下に生まれたんや」

 近大ボクシング部を復活に導いた男が抱えていた「もやもや」を振り切って、ついに今年8月にプロ挑戦を決断した。

 妻の志帆さんはこの日、愛息を伴ってプロテスト終了後に会場外で合流。「“生活第一”で、まともに働いてほしい気持ちはあるんですけど」と本音を明かしつつ「やるからには趣味程度で終わってほしくない」と全面バックアップで尻を叩きまくることを約束した。

 ◆浅井 大貴(あさい・だいき)1989年5月12日生まれ、大阪市出身の31歳。中学時代は陸上部で走り幅跳び。浪速高でボクシングを始め、近大4年の11年に国体(成年の部)ライト級3位。全日本社会人選手権はライト級で14、15年と連覇。アマ戦績は77戦61勝(33KO/RSC)16敗。1メートル76の右ボクサーファイター。高校ボクシング部の指導者としても全国レベルで活躍する選手を輩出した。

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2020年10月11日のニュース