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力道山VSザ・デストロイヤー 天井裏から撮った“4の字固め”に覆面魔王「忍者カメラマンはいるか」

[ 2020年4月28日 05:30 ]

1963年5月24日、東京都体育館で力道山に4の字固めを決めるザ・デストロイヤー。天井裏に登り撮影(撮影・宮崎 仁一郎)
Photo By スポニチ

 【Lega-scene あの名場面が、よみがえる。~力道山編~】昭和、平成の名場面を本紙秘蔵写真で振り返る「Lega―scene(レガシーン)」第4弾は、昭和のプロレスブーム最大の立役者、力道山です。1回目は1963年(昭38)5月24日、屈指の名勝負となったザ・デストロイヤーとのWWA世界ヘビー級選手権。元スポニチ写真部の宮崎仁一郎名誉職員(85)が、東京体育館の天井裏に潜り込んで真上から撮影した“歴史に残る一枚”を振り返ります。

超満員1万2000人の観衆の視線が
決戦のゴングとともにリングへ注がれた。
まだ20歳代、怖いものなしの小生は
その瞬間を待っていた。
他社のカメラマンも会場内の警備員も
リングに夢中になったのを見計らって
気づかれないよう取材場所から抜け出た。
目指すは東京体育館の天井裏だった。

天井板を踏み外せばリングに真っ逆さまだ。
妙な緊張感で嫌な汗が流れ
手が滑って何度もヒヤリとした。
スポットライトからわずかにこぼれる
明かりを頼りに、鉄製ステップと鉄骨の上を
這(は)うように進んだ。

一度掛けられたらどんな怪力でも
ほどけないザ・デストロイヤーの必殺技
「4の字固め」。
写真で表現するには
どこから撮影するのがベストか。
答えは真上からしかなかった。
照明器具と天井板の隙間に
レンズをこじ入れた。
デストロイヤーの足が
力道山に掛かった。
「いただき」。
ニコンFのシャッターを夢中で切った。

それから10年以上の月日がたった。
スポニチ写真部に
何とそのデストロイヤーがやってきた。
「忍者カメラマンはいるか。
私の一番好きな写真を撮ってくれた。
焼き増ししてもらえないか」。
カメラマン冥利(みょうり)に
尽きる出来事だった。
(写真と文 宮崎 仁一郎)

 《平均視聴率64・0%》WWAヘビー級王者デストロイヤーに日本プロレスのインターナショナル王者・力道山が挑戦した時間無制限一本勝負は28分15秒、引き分けに終わった。覆面に凶器を忍ばせたデストロイヤーの頭突きで力道山は額から流血。力道山も空手チョップで“覆面の魔王”を何度もリング下へ叩き落とした。最後はデストロイヤーの4の字固めから両者の足が絡み合って離れず、ともに足を負傷して起き上がれなかったため、レフェリーストップでの決着。生中継した日本テレビは当時史上最高、現在も歴代4位の平均視聴率64・0%を叩き出した。

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2020年4月28日のニュース