内村航平が引退会見 リオ五輪以降苦しんだ5年間 「栄光も挫折も経験。通らなければいけない道だった」

[ 2022年1月14日 10:40 ]

<体操・内村航平引退会見>花束を手にフォトセッションに臨む内村(撮影・木村 揚輔)
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 体操男子の個人総合で12年ロンドン、16年リオデジャネイロと五輪連覇するなど、キングとして君臨した内村航平(33=ジョイカル)が14日、都内で引退会見を行った。

 五輪について「僕にとってのオリンピックとは、自分を証明できる場所だったかなと。世界チャンピオンになり続けて、果たして本物のチャンピオンなのかと疑い続けて、五輪で証明を2回もできた。それを証明する舞台だったのかなと思います」と述べた。

 さらにリオ五輪から東京五輪までに向かう心境を振り返った。「リオ五輪以降のここまでは、今まで練習が思うようにいかないっていうのがなかったのが、急にいかなくなって、痛いところも気持ちでカバーできてたのが、カバーできなくなり。練習でどうにか痛めないような体を作り上げていくところからやったりと練習をいろいろ工夫して。プロになって普及とか体操の価値をあげたいと考えてやっていた中で、リオにほど遠い結果だったけど、体操を突き詰めていくということを考えると一番濃い5年間だったと思う」。

 また「体操に対する知識がかなり増えて、世界中のどんな体操選手やコーチより知っているという自負があって。5年間でいろんなこと研究して知ることができた。終わりがないことも知った。勉強し続けていくことで幅も広がっていくし、引退することでいろんな人に伝えていけるので、通らなければいけない道だったのかなと。いいとこばっか知りすぎた。挫折とか落ちたところからの這い上がる力を知れたのは、今後人に伝えていく立場として知らなきゃいけないことだった。栄光も挫折も経験できたのは、自分だけじゃなく、今後体操でトップ目指す人たちに伝えていく立場からすると、貴重な経験をさせていただいたという気持ちが強い」と語った。

 内村は09~16年に世界選手権&五輪の世界大会で、前人未到の個人総合8連覇を達成。16年12月のプロ転向後は度重なる故障に苦しんだが、20年2月に個人総合に別れを告げ、種目別の鉄棒に専念することを決断した。

 厳しい国内選考を突破して、昨夏の東京五輪に出場。落下があって予選落ちを喫したが、約3カ月後の生まれ故郷・北九州での世界選手権で「会心の一撃」と自賛する完璧な着地を見せた。順位は6位でも、観衆を魅了した。

 世界大会で積み上げたメダルは、伝統の体操ニッポンで史上最多の計28個。キングが、黄金のキャリアに終止符を打った。

 ◇内村 航平(うちむら・こうへい)1989年(昭64)1月3日、福岡県北九州市生まれの33歳。長崎県諫早市で3歳の時に体操を始め、五輪初出場の08年北京大会で団体総合、個人総合で銀メダル。09~16年に個人総合で2度の五輪制覇を含む世界大会8連覇を達成し、16年12月に日本体操界初のプロに転向した。五輪4大会連続出場は体操ニッポン史上2人目。1メートル62、52キロ。 

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