日比野弘氏が死去 ラグビー元日本代表で早大、日本代表監督を歴任

[ 2021年11月16日 05:30 ]

ラグビー日比野弘氏
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 ラグビー元日本代表で早大や日本代表監督、日本協会名誉会長を歴任した日比野弘(ひびの・ひろし)氏が14日、呼吸不全のため横浜市内の自宅で死去した。86歳。葬儀・告別式は家族葬で行う。

 東京都出身。野球少年だった日比野氏だが、中2だった49年度の早明戦でラグビーを初観戦したことが呼び水となり、都大泉高から競技を開始。ウイングとして早大、日本代表でも活躍した。引退後は母校・早大で指導者の道へ。監督に急きょ就任した70年度には、フッカーだった大東和美主将(当時)を説得してスクラムの要である右プロップにコンバート。通算8年の監督生活で、唯一の日本選手権制覇を成し遂げた。

 勝負師でありながらも和を尊ぶ人間性で、指導者晩年は孫の年齢ほどの部員から親しみを込めて「ひびじい」と呼ばれた。現在よりもラグビー界の学閥が色濃かった代表監督時代の83年には、欧州遠征で明大出身の松尾雄治主将が提案した早大OB抜きのメンバー案を受け入れ、敵地でのウェールズ戦で24―29と大健闘。訃報に接した松尾氏は「いろんな先輩を見てきたが本当に一番尊敬される、できる方でした。どんな時でも公平、平等で、正々堂々とされていた」と別れを惜しんだ。

 念願の日本開催だった19年W杯は現地観戦をかなえたものの、近年は心臓の手術を受けるなど、自宅で療養していたという日比野氏。76年の日本代表カナダ遠征は監督と選手の間柄だった日本協会の森重隆会長も「長きにわたる日本ラグビー界への多大な貢献に敬意と感謝を申し上げ、謹んでご冥福をお祈り申し上げます」とコメントを発表した。

 《快足ウイング》日比野 弘(ひびの・ひろし)1934年(昭9)11月20日生まれ、東京都出身。都大泉高でラグビーを始め早大、東横百貨店で快足ウイングとして活躍。日本代表通算キャップ3。70、73~75、84、85、98、99年度に早大監督を務め日本選手権1回、大学選手権3回、対抗戦を4回制覇。日本代表監督や日本協会の副会長、会長代行、名誉会長を歴任。テレビ解説者としても活躍し、11年には日本ラグビーの歩みと記録をまとめた「日比野弘の日本ラグビー全史」を出版した。

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