朝乃山 同級生に恵まれ切磋琢磨、4年間で30キロ増

[ 2019年7月5日 09:38 ]

令和初V!!富山の星 朝乃山きときと物語(下)

近大4年時、全国大学選抜十和田大会で個人3位に輝いた朝乃山(左端)と伊東勝人監督(中央)右は同級生の長内拓磨さん
Photo By スポニチ

 朝乃山の母校・近大の伊東勝人監督(54)は、大会を控えた和歌山のホテルのテレビで教え子の優勝を見届けた。続々とかかってくる電話に「“おめでとう”と言われた瞬間、涙が止まらなくなった」と回想する。

 OBに横綱・旭富士(現伊勢ケ浜親方)、大関・朝潮(現高砂親方)らがいる名門。ただ、全員がプロ志望ではない。「1、2年の頃は卒業後、地元へ戻って就職できればとしか思わないもの」という伊東監督にとって、石橋広暉、つまり朝乃山もその一人だった。だが、高校時代の恩師、富山商の浦山英樹監督(故人)に「おまえはプロに行けよ。俺の夢なんだよ」と諭されていた朝乃山は、4年時に国体、全日本選手権で4強と結果を残し、決意を固めた。

 師は「同級生にも恵まれていた」とも振り返る。全国学生選手権の団体戦制覇を目指した15年は決勝で日大に敗れたものの、共に角界入りした池川(幕下・北勝陽)、玉木(幕下・玉木)らタレントぞろい。普段の練習から切磋琢磨(せっさたくま)した。

 現在でこそ1メートル87、177キロだが、大学時代は「飯が弱かった」と言う。「1回で食べられなければ回数を増やすしかない。3回を5回に」。晩ご飯が終わった頃を見計らってラーメン屋さんに誘い出した。入学時130キロだった体重は卒業時、162キロにまで増えた。

 高砂部屋も当時、スカウトに注力していた。横綱・朝青龍が10年に引退。部屋付きの若松親方(元幕内・朝乃若)は高砂親方からの指示で、母校へ頻繁に顔を出すようになった。16年九州場所で朝赤龍の幕下転落が決まり、部屋創設から138年目で関取が途絶えることになったが、17年春場所で朝乃山が新十両に昇進。伝統を引き継いだホープは、優勝で名門に新たな歴史を刻むことになった。(特別取材班)=おわり=

続きを表示

2019年7月5日のニュース