オズチチェック・タカギ 柔よく“豪”から制す!日本から国籍変更でつかんだ五輪切符
2020 THE TOPICS 話題の側面
オズチチェック・タカギ・カイハン(28=日本中央競馬会)という柔道家がいる。100キロ級の日本代表として10、11年の世界選手権にも出場した高木海帆といえば、ご存じの方もいるだろう。17年、オーストラリアの国籍を選択し、すでに来年の東京五輪出場を確実にした。夢のための決断は、決して簡単なものではなかった。
アスリートの能力を測るものさしの一つに「実績」がある。高木海帆は東海大相模高1年でインターハイ100キロ級を制覇。1年生王者は、山下泰裕(現全日本柔道連盟会長)以来、33年ぶりのことだった。
神奈川県川崎市の柿生青少年柔道会で柔道を始めたのは7歳。バスケットなどでも頭角を現していたが、大好きな柔道を選んだ。高校3年時には団体3冠(選手権、金鷲旗、高校総体)に貢献。東海大進学後は1年から主力として団体戦の大将もつとめた。大学2年時の19歳で伝統の全日本選手権に出場し、出場最年少ながら8強入り。強じんな体幹を生かした粘り強い柔道は、ジュニア時代から光っていた。
10年、東京で開催された世界選手権に初出場。2回戦で08年北京五輪王者のツブシンバヤル(モンゴル)に敗れたものの、延長による惜敗だった。翌11年、パリの世界選手権も代表入り。翌年に迫ったロンドン五輪代表争いは、穴井隆将(現天理大監督)と一騎打ちの様相を呈していた。ところが、順調に階段を駆け上がった高木が抱えていたのは、高揚感より違和感だった。
「実力が伴わないのに評価され、自分自身が追いついてない状態だったんです」
当時、柔道界は過渡期にあった。08年北京五輪後、国際柔道連盟(IJF)は世界ランキング制度を創設。日本は強化選手を次々と大会に送り込み、ランク上位を目指した。まして、100キロ級は井上康生(現・全日本男子監督)、鈴木桂治(現・同コーチ)という柔道家が彩ってきた日本の看板階級。ホープに対する期待度は、想像以上に高かった。
当時の東海大の学生で代表クラスに名を連ねていたのは、高木だけだった。日本代表の海外遠征や強化合宿の合間に、大学の試合と稽古。どう休みを取ればいいのか、本人だけでなく周囲も分からなかった。「五輪の舞台に立つ自分が想像できなかった」。12年初頭、右前十字じん帯を断裂。手術に踏み切った裏側には、体と心の疲弊があった。
完全復活まで1年以上も低迷した間、日本は14年世界選手権に100キロ級代表を送らないという荒療治を敢行。それでも、高木は「死ぬときに“五輪に出てない”と後悔したくなかった」と、16年リオへ立ち上がる。14年秋の講道館杯で復活V。15年4月の選抜体重別も優勝した。だが、15年の世界代表に選ばれたのは、海外で実績を挙げていた大学の後輩・羽賀龍之介(現・旭化成)だった。カザフスタンでの世界選手権、スタンドにいた高木の目の前で、羽賀は世界一になった。
リオ五輪は翌年。自分より若い現役世界王者を、代表争いで逆転するのは至難と分かっていた。「あー、終わったと。11月に青島(中国)で行われたグランプリも負けて、自分が五輪に行ける可能性がほとんどなくなったとき、母に電話したんです。“国籍、まだ生きてる?”って」
高木がトルコ人の父・メティンさんと母・八穂子さんの間に生まれたのは、両親が当時住んでいたオーストラリア・ゴールドコースト。出生時から持っていた2カ国のパスポートは、まだ有効だった。「オーストラリアからリオに行こうと、気持ちが固まった」。大好きだった柔道が、楽しくなくなったことに気付いたことが、背中を後押しした。
1カ月後の15年12月、グランドスラム東京大会出場のために来日していたオーストラリアチームにコンタクト。ボランティアとして同行していた日本人女性を通じて、熱意を訴えた。その直後、所属先と日本代表の首脳陣にも気持ちを吐露。その時あふれた涙は、一時の気の迷いとは異質であることを伝えるに十分だった。
乗り越えるべき障害は、小さくはなかった。一国の代表として活動した選手の他国移籍には、3年間のブランクが必要となるのがIJFルール。当該国同士の話し合いで短縮は可能ともされていたが、日本国内のルールは厳密化されていた。オーストラリア国籍を選択後、3年もの間、目標を持てずに稽古を続けることは、想像以上の苦行だった。
「自分で自分を見放さない、ということだけ。でも、進路も世界代表も、誰かが導いてくれたことばかりだった。これだけは自分で決めたことだったから、我慢できたんです」
最後に日本代表として畳にあがって3年後の18年11月。グランドスラム大阪大会にエントリーした。「自分でたどり着いた代表だったから、初めて国を背負って戦う喜びを感じられた」
IJFのランキングで、日本代表の誰より先に、東京五輪の畳に立つことが決まったのは、今年4月のことだ。「ずっと闇の中だったから、今、柔道が楽しい。24年パリ五輪も出たい。金メダルも可能だと思ってるんです。まだ、国歌が歌えないから練習しないといけないんですけど」。時代の流れに翻弄(ほんろう)された日々を乗り越え、日本武道館の畳に帰ってくる男はきっと、日本の強敵となるだけでなく、次代のアスリートの道しるべとなるかもしれない。
▽柔道の東京五輪出場条件 出場枠は男女7階級ずつ1カ国・地域1人で、日本は開催国枠で全階級確定済み。日本以外は20年5月25日時点の世界ランキング上位18位が選出される。その他に大陸枠、ワイルドカード枠があり、全階級で計386人が出場する。
≪世界36位もオセアニア最上位≫オーストラリア柔道連盟が遠征費など全額補助する強化選手は男女とも1人ずつ。高木は昨年6月、ゴールドコーストで行われた国内大会で優勝し、男子の指定選手になった。6月21日時点の世界ランクは36位もオセアニア大陸最上位で、東京五輪出場は決定。次は世界ランク上位で枠を確保し、他選手に大陸枠をプレゼントすることが目標となる。なお、オーストラリア男子柔道のメダルは過去1個だが、セオドア・ボロノフスキーの銅メダルは64年東京五輪の無差別級だった。
◆オズチチェック・タカギ・カイハン 1990年10月15日生まれ、オーストラリア・ゴールドコースト出身の28歳。神奈川県川崎市の柿生小1年時に柔道を始め、5、6年時には神奈川県大会重量級優勝。東海大相模中時代は90キロ級で全国16強、東海大相模高1年でインターハイ100キロ級優勝。東海大2、3年時に世界選手権に出場した。1メートル82。日本中央競馬会所属。家族は妻・貴恵さん(34)。
≪女子57キロ級 出口はカナダに≫高木と同様、国籍選択して東京五輪を目指す選手に、女子57キロ級の出口クリスタ(カナダ)がいる。カナダ人の父、日本人の母を持ち、生まれは長野県。ジュニア時代は日本代表として国際大会に出場も、16年限りで強化指定を辞退。17年にカナダ代表として国際大会に出場し、昨年の世界選手権は銅メダルを獲得した。また、二重国籍とは異なり他国籍を取得して五輪出場したケースには、16年リオ五輪男子マラソンのカンボジア代表となった猫ひろしらがいる。
≪日本はウルフがリード≫日本の男子100キロ級をリードしているのは、17年世界選手権王者のウルフ・アロン(了徳寺大職)だ。今年4月は無差別で行われる全日本選手権を初制覇。今夏の世界選手権にも代表に選ばれており、2年ぶりの世界一に輝けば初の五輪代表にグッと近づく。ウルフを追うのが昨年のアジア大会覇者の飯田健太郎(国士舘大)と16年リオ五輪銅の羽賀龍之介(旭化成)。実績や勢いでウルフがやや抜け出した三つ巴の様相を呈している。
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