LPGA元会長・清元登子さん死去 78歳 賞金女王3人育成

[ 2017年9月28日 05:30 ]

死去した清元登子さん
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 日本女子プロゴルフ協会(LPGA)の清元登子(きよもと・たかこ)元会長が16日、誤嚥(ごえん)性肺炎のため神奈川県横浜市内で亡くなった。LPGAが27日、発表した。享年78。清元氏は指導者として不動裕理、大山志保、古閑美保と3人の賞金女王を育て、LPGAの選手指導やジュニア育成などで力を振るった。なお葬儀・告別式の日程は未定となっている。

 清元さんは09年に脳梗塞で倒れ、ここ数年は横浜市内の施設で生活していた。2週前に日本プロ選手権が開催された際、区切りの50回大会ということで、LPGAが歴代の会長経験者を会場に招待。しかし、清元さんは体調不良を理由に断っていた。関係者によれば、最近は会話も難しい状態だったという。

 日本女子オープンの開幕前日イベントに出席するため、我孫子GCを訪れた一番弟子の不動は、一昨年に近況報告で会ったのが最後だったという。「ゴルフに対しての基本、当たり前のことをやり続けることの大事さを教わりました。決めたことは続ける。それは今でも守っています」。賞金女王に6度も輝いた不動は10歳で清元さんに師事。プロ転向後は熊本市内の清元さんの自宅に居候し、指導を受けた。「朝晩食事を作ってもらいました。本当に感謝しています」と恩師をしのんだ。

 清元さんは衣料品を扱う裕福な商家で育ち、24歳でゴルフを始めた。73年のトヨトミ・レディースでは、樋口久子やサンドラ・パーマーら日米のトッププロを抑え史上初のアマチュア優勝を飾り、後に女子プロブームをつくった宮里藍や畑岡奈紗の先駆けとなった。

 74年のプロ入り後は78年日本女子オープンなど7勝を挙げ、95年から2年間LPGA会長を務めた。この日行われた日本女子オープンの歴代優勝者の食事会では、冒頭でLPGA元会長の樋口相談役、小林会長ら関係者が黙とうをささげ、清元さんを悼んだ。

 ◆清元 登子(きよもと・たかこ)1939年(昭14)6月15日、熊本県熊本市生まれ。九州女学院高(現ルーテル学院高)時代はソフトボール選手。日本女子アマ3勝。74年のプロ転向後は通算7勝。84、85年日本女子プロゴルフ協会理事長。97〜07年同副会長。13年から顧問。LPGAではティーチング資格制度の基盤立ち上げやジュニア育成に尽力。82、07年日本プロスポーツ功労賞。17年日本プロゴルフ殿堂入り。

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