セーリング・川田貴章“医者休業”で東京五輪へ

[ 2017年9月28日 11:04 ]

セーリング・ナクラ17級での東京五輪出場へコンビを組む梶本和歌子と川田貴章(本人提供)
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 東京は東京でも、「五輪」ではなく「大学」の方だ。セーリング・川田貴章(33=ミキハウス)の現時点での“枕詞(ことば)”は東大医学部卒。医者をいったんやめて3年後を目指すエリートだ。

 08年北京五輪出場を逃し、内科医の道を歩んだはずだった。しかし、開業医の父・征一さんの教えで小学生から知る海の魅力を、諦め切れなかった。「死ぬ人を毎日見て、思い残す死に方はしたくないと思った」。16年3月に病院を休職。妻で医者の敦美さん(30)の応援も、三十路の挑戦を勇気づけた。

 道半ばで沈没しないように、万全の態勢を敷く。競技資金は母校の東大、麻布高のOBを頼り、ミキハウスの支援も得た。船の性能分析は、東大工学部の力を借りる。我が道を進んだ東大時代にはなかった戦略的な考え方。病院勤めをしたおかげで学んだ。

 「病院は絶対にミスが起きないように組織的にできている。根回しや段取りが大事だと勉強した」

 そもそも、メダルの可能性を計算して再起をしている。選んだ種目ナクラ17級は、リオ五輪から採用された男女混合の2人乗り。歴史が浅い上に、東京五輪で船の規格が変わるため、操縦方法が世界中で手探りだ。「メダルは突拍子もないことではないと考えている」。パートナーの梶本和歌子(33)は、同型1人乗りの16年女子世界1位。心強い。

 実は、足りない資金を補うために、アルバイトで週1〜2回、医者を続けている。「風が吹くタイミングで生きていると、時間にルーズになって…。医者の時間が社会人として大事ですね」。優しく丁寧な口調はきっと、患者を安心させるために身についた“職業病”。船上のドクターなら、会場・江ノ島の風の気持ちも読み取るだろう。 (倉世古 洋平)

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2017年9月28日のニュース