身捨つるほどの祖国はありや…五輪に命は懸けられない

[ 2016年9月1日 10:45 ]

男子マラソンで銀メダルを獲得したエチオピアのフェイサ・リレサ。表彰式でも抗議のポーズ(AP)

 【鈴木誠治の我田引用】リオ五輪を一通り見終わって、女勝負師のスゥちゃんが言った。

 「バクチで命を懸けることはあっても、スポーツに命は懸けられないわよね」

 勝負は勝たなければ意味がないという厳しい哲学を持つスゥちゃんは、肝が据わっていて、スポーツの見方も独特だ。すぐに反応したわたしは、聞いた。

 「どういうこと?」

 「五輪を見てると、勝っても負けても、泣くじゃない。命懸けの人は、勝負の結果では、泣かないと思うのよ」

 なるほど。

 「でも、いくら五輪と言っても、スポーツに命を懸けるのも、どうかと思うよ」

 「そうよ。スポーツに命なんか懸けちゃ、いけないわ」

 そんな話をしていたら、男子マラソンで銀メダルを獲得したフェイサ・リレサ選手(エチオピア)のニュースが入ってきた。ゴール時、高く掲げた両腕を交差させたポーズは、母国の政府による民族虐殺への抗議だったという。「わたしはエチオピアに戻れば、殺されるかもしれない」。リレサ選手はそう話した。

 マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや

 寺山修司のこの歌は、命を懸けるものがない自分を嘆いたそうだが、身捨つるほど祖国を思うリレサ選手も、切ない。五輪の舞台で、母国の窮状を知ってもらいたい。それを、いつ思いつき、どう覚悟し、どれだけ迷い、どんな思いで42・195キロを走り続けたのだろうか。

 「だめよ、スポーツに命を懸けちゃ…」

 スゥちゃんは、表情を暗くした。

 リレサ選手が涙を流したとは、報じられていない。海を見つめる寺山修司の目にも、きっと涙はなかっただろう。

 「スポーツ選手は、勝っても負けても、泣かないとだめなのよ」

 すると今度は、シンクロナイズドスイミングの井村雅代監督が、テレビ画面に登場した。デュエット、チームとも銅メダルに導いて、日本を復活させた。厳しさで知られる名将は、なぜ、そこまで選手に練習をさせることができるのかと聞かれて、笑って答えた。

 「だって、生きてるでしょ」

 スゥちゃんの表情が、少し明るくなった。

 「ほらね。命懸けの手前まで練習はしても、命を懸けろとは言っていないじゃない」

 ◆鈴木 誠治(すずき・せいじ)1966年、静岡県浜松市生まれ。立大卒。担当歴はボクシング、ラグビー、サッカー、五輪。軟式野球をしていたが、ボクシングおたくとしてスポニチに入社し、現在はバドミントンに熱中。

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