テニス界最大の難題は?八百長でも薬物でもなく…男女の賞金格差

[ 2016年3月23日 08:00 ]

 八百長、ドーピングで揺れたテニス界がまたもやざわついている。今度は男女差、ジェンダーの問題である。

 発端はBPNパリバ・オープン女子シングルス決勝前に行われた大会ディレクターによる会見だった。元プロ選手でもあるレイモンド・ムーア氏が、女子ツアーのWTAについて「男子の尻馬に乗っている」と発言したのである。

 同氏はWTAの発展について「とても、とても幸運だった」と言い「自分が女子選手だったら、毎晩ひざまずいて神に感謝する。フェデラーやナダルを授けてくださってありがとうございます、とね。彼らがこのスポーツを引き上げてくれたからだ」とWTA関係者のこれまでの努力を全否定するような見解を示したのである。

 この発言は多くの選手や元選手の反発を呼んだ。ムーア氏は大会翌日に早々と辞任を表明。男女を問わず、多くの関係者の神経を逆なでする暴言であった。

 ただし、ムーア氏の発言に端を発して別の議論も広がった。こちらの火付け役は男子世界1位のノバク・ジョコビッチ(セルビア)だった。男女の賞金額について「統計を見れば、男子の試合の方が多くの観衆を集めている。我々が(女子よりも)多くの報酬を得る理由になると思う」と自らの考えを語ったのだった。

 テレビやネットなどによる視聴者数は、男子が9億7300万人で、女子の3億9500万人を大きく上回っている(いずれも4大大会を除く。女子はプレミアカテゴリーと最終戦)。英BBCによれば、男子の放映権料は10年間で9億400万ポンド(約1453億円)が見込まれており、女子の3億6500万ポンド(約587億円)の3倍近い数字だ。

 それなのに4大大会では全米オープンが73年から、ウィンブルドンが最も遅い07年から男女同額となって賞金に格差はない。今回のBNPパリバ・オープンも男女同額で開催されている。市場での“評価額”は男子の方が圧倒的に高いのだから、その価値に見合った分配をというのがジョコビッチの意見である。また、4大大会に関しては男子が5セットマッチ、女子は3セットマッチという“労働量”の違いもある。

 ただし、女子世界1位のセリーナ・ウィリアムズ(米国)はこう反論する。「去年の全米オープン女子決勝は男子より先に売り切れたでしょ」

 昨年の同大会男子決勝は、結果的にはジョコビッチ対フェデラーのドル箱カードだった。とはいえ、米国のファンにとっては自国のスター、S・ウィリアムズが勝ち上がる可能性の高い女子決勝の方が前売り券で確保する価値があったのだろう。

 どんな競技でも男子の方がプレーの迫力や技術で勝るのは言うまでもない。とはいえ、各選手の個性やバックグラウンドを知った上で観戦すれば女子のプレーも十分楽しめるというのは、なでしこジャパンが国民栄誉賞まで受賞した日本のスポーツファンなら理解できる点である。

 他競技と異なるテニスの特殊性は、同日同会場で男女それぞれの試合が行われていることである。多くのファンがどちらの試合も楽しんでおり、混合ダブルスだってある。男女どちらのために入場料を支払ったか簡単に仕分けられるものでもないのだ。男女の賞金格差はあるべきか。八百長やドーピング以上に、白黒はっきりつけるのが難しい問題である。(記者コラム・雨宮 圭吾)

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2016年3月23日のニュース