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【メダリストは見た】三宅義信氏、トライアスロン佐藤を称える

[ 2016年8月22日 08:39 ]

トライアスロン女子で、15位でゴールした佐藤優香

リオデジャネイロ五輪・女子トライアスロン

(8月20日)
 初メダルの期待も懸かったトライアスロンだが、女子3選手は佐藤の15位が最高だった。04年アテネでトライアスロン日本代表監督を務めた経歴を持つ重量挙げ五輪連覇の三宅義信氏(76)の目にはどう映ったのか。リオが終われば、東京へのカウントダウンが本格化。連載の掉尾(ちょうび)を飾るきょう22日、あす23日は64年東京五輪の“レジェンド”が特別寄稿する。

 佐藤、よく頑張ったな。得意のスイムだけでなく、バイクでも先頭集団に食らいついていけたのは前進だ。若いし、ランはまだこれから磨ける。1キロ3分25秒くらいで安定して走れれば、東京は勝負できるんじゃないかな。上田は体が小さいから、波が高い海でのスイムは厳しかったか。トップグループが見える範囲でバイクにつないでいれば追い上げられたんだけど、2分以上も遅れたんじゃあ難しいよ。

 私とトライアスロン、と聞けば「なぜ?」と思う方もいるかもしれないな。私が自衛隊体育学校の校長だった時代に、当時日本連合の会長だった猪谷千春さん(56年コルティナダンペッツォ五輪アルペン男子回転銀メダリスト)に頼まれてね。猪谷さんに頼まれちゃ、仕方ない。実際に選手強化に携わるようになったのは98年に自衛隊を退官してから。04年アテネの年には選手強化対策本部長を務めて、五輪代表監督もやったんだ。

 五輪の実施競技になったのは00年シドニーからという若い競技だ。だけど、諸説ある源流の一つを聞かされて興味が湧いたんだ。米国の海兵隊がやった「鉄人レース」と聞いた。スイム、バイク(自転車)、ランはどれが効率的かという議論の延長線上にあったらしい。これは、現代的な伝令ってことだ。退官時は陸将補。米国は指導者留学をした地でもあり、縁を感じたね。

 初めて競技を見た時に、重量挙げとの共通点もパッと頭に浮かんだ。私の現役時代の重量挙げは3種目の合計重量で争われていた。今は行われていないが審判の合図で押し上げる「プレス」、引き上げる「スナッチ」、そして差し上げの「クリーン&ジャーク」だ。トライアスロンだって3種目。スイム、バイク、ラン。大事なのは3種目をどうつなぐか、という「つなぎ」の技術だと思ったね。

 例えば重量挙げなら、重い物を持ち上げるという3種目の共通点ばかりに目がいきがちだ。トライアスロンなら、どれも持久力とスピードを試される種目、ということだろうか。しかし、それぞれをきちんと分析すると、使う筋肉は異なるんだよ。そして、ある筋肉を使ったあと、全く違う筋肉を目覚めさせて使うというのは、ちょっとコツのようなものが必要になるんですよ。

 私の場合はプレスからスナッチ、スナッチからジャークの間が2時間以上空くこともざらだった。スタートする重量が誰よりも重い、つまり試技順が最後のことが多かったからね。だから「つなぎ」で一番神経を使ったのは、体を冷まさないことだった。ところが、トライアスロンの「つなぎ」は海から上がってバイクへ乗る、そしてバイクから降りてランの準備をする、というわずか1分ほどの間だけだ。だから、動き始めてから体を順応させていく必要があるんだよな。私のアドバイスは「そこに神経を研ぎ澄ませろ」というものだった。

  もう一つ、若い選手に伝えたものは「心」だ。体や技術は毎日の練習で磨かれていく。だけど心は、自分が理解していないと磨かれてはいかないんだ。「心技体」で最も曖昧で、最もおろそかにしがちだけど、最も大切なもの。それが心なんだな。アスリートとして平常心で戦いの場に挑むというのは大前提。それに加えて、憧れの存在でい続けられる人間でなければ、メダルを獲った意味なんてない。その思いは今でも変わらないし、20年の東京大会に向けても、ぜひ考えてほしいと思うよ。

 それにしても、今大会の日本選手団はよく頑張った。メダル数は史上最多だってな。次の東京へ期待は高まるし、プレッシャーもあるだろう。ただし、手放しで喜ぶのはまずい。まずはメダルを獲った選手の年齢はどうなのか、よく分析することだ。若い選手なのか、キャリアを重ねて東京は厳しい選手なのか。うちのめいっ子(重量挙げ銅メダリスト・三宅宏実)は20年は34歳。普通なら厳しいだろうしな。

 60年ローマ五輪の日本は金4、銀7、銅7で、決して期待したほどの成績じゃなかった。だから、東京に向けて、全ての競技団体ががむしゃらに頑張ったんだ。当時は国民も「頑張れ」と背中を押してくれた時代。今は強化費が増えた分、成果を検証されるシビアな時代だ。いろいろな声があると思うけど、メダル期待種目ばかり「選択と集中」を進めることだけはやめてほしいな。マイナー競技にも灯をともし続けることが大切だ。火が消えなければいつか大きな炎になる。バドミントン、卓球、カヌー…。リオだって、それを証明してくれただろ?それが五輪の精神なんだよ。

 ◆三宅 義信(みやけ・よしのぶ)1939年(昭14)11月24日、宮城県柴田郡村田町生まれの76歳。大河原高2年から本格的に重量挙げを始め、法大2年時の60年ローマ五輪で銀メダル。64年東京では日本選手団の金メダル1号を獲得し、68年メキシコで五輪連覇を達成。4位に終わった72年ミュンヘン五輪後に引退。現在は東京国際大特命教授、NPO法人「ゴールドメダリストを育てる会」理事長。

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