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一時は首位も!小林「興奮した人!手を挙げてー」

[ 2010年2月16日 06:00 ]

後半距離で7位でゴールした小林

 ノルディック複合の“お祭り男”小林範仁(27=東京美装)が個人ノーマルヒルで7位入賞を果たした。前半飛躍(HS106メートル、K点95メートル)で12位につけ、得意の後半距離(10キロ)では終盤一時トップに立つ大健闘。複合個人種目の入賞は02年ソルトレークシティー大会個人スプリント6位の高橋大斗(当時北海道東海大、現土屋ホーム)以来となった。94年リレハンメル五輪以来となる23日(日本時間24日)の団体戦での金メダルへ向け、日本のエースが弾みをつけた。

 目立ちたがりのイケメンエースが70秒間、世界を驚かせた。得意ではない前半飛躍で12位につけ、首位と58秒差でスタートした後半距離。2・5キロのコースを4周する最終周、残り1・5キロ付近。下りから平地に移る地点で7人の集団の最後方から一気に先頭へ立つと、スパートをかけて2位以下を10メートル以上引き離した。最終走者を務めて金メダルを獲得した、昨年2月の世界選手権(チェコ)の再現を思わせる快走だった。
 9キロすぎの上りでトップを譲るとずるずる後退したが、五輪自己最高の7位でゴールイした後は独演会だ。報道陣が集まったミックスゾーンで開口一番、「興奮した人!手を挙げてー、はーい」。全員が手を挙げる光景に「それだけで満足です」と笑みを浮かべた。トップに立った場面についても「勢いがついちゃって。我慢して出なければ、もっと接戦になった。でも、目立つチャンス。僕のハートがそうさせてくれなかった」と“舌好調”。阿部雅司コーチも「どこかで目立つ行動をすると思ったら、本当にやってしまった」とあきれ顔だった。
 豪雪地帯の北秋田市に生まれ、父・博さん(59)も東京美装の元複合選手。2歳からスキーを始め、父の英才教育で周囲の畑を練習場に滑りの基礎を築いた。「父もジャンプがダメだった。似ちゃいましたね」とおどけたが、距離直前の豪雨で湿った雪の上で、博さんが「スキーを操作して滑らせるのがうまい」と褒める持ち味を出した。
 90年代に日本複合の全盛期を築いた荻原健司氏にあこがれた。花輪高1年時、全日本合宿で初対面。「最初は話もできなかったが、見ていて私生活からプロだなと感じていた」と取り組む姿勢を学んだ。01年世界ジュニア選手権個人戦で日本人初優勝の快挙を成し遂げた時、プレゼントされたサングラスは今も大切な宝物だ。荻原氏の引退以降低迷が続いた複合で、昨年の世界選手権では日本14年ぶりの金メダル獲得に貢献。野球のWBCに話題を奪われ注目度はイマイチだったが、ついに脚光を浴びる時が来た。「勢いはつけられた」という23日の団体戦ではアンカーの大役。狙うは荻原氏以来となる、先頭でのフィニッシュだ。

 ▼河野孝典コーチ (小林は)レースの中でメダル争いには加わると思っていた。ただ大事なのはメダルを獲れるか。勝負の世界ですから。

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2010年2月16日のニュース