“シンザンの最高傑作”ミホシンザン大往生 32歳老衰、眠るように…

[ 2014年12月5日 05:30 ]

主戦の柴田政人を背に85年皐月賞を制したミホシンザン。32歳での大往生を遂げた

 5冠馬シンザンの産駒で85年の皐月賞、菊花賞などG1・3勝を挙げたミホシンザンが4日、老衰による心不全のため、けい養先の谷川牧場(北海道浦河町)で死んだ。32歳。サラブレッドの日本最長寿記録(当時=35歳3カ月11日)を打ち立てた“父超え”はならなかったが、苦しむことなく大往生を遂げた。

 「シンザンの最高傑作」と称された名馬が死んだ。谷川牧場で余生を送っていたミホシンザンは4日朝、馬房で眠るように息を引き取った。32歳での大往生。同牧場の谷川貴英代表取締役社長は「父のシンザンが種牡馬を引退した翌年から谷川牧場で種牡馬生活をスタートさせた馬で、思い出に残る一頭です」とその死を悼んだ。

 ミホシンザンは戦後初の3冠馬シンザンの産駒。3歳(当時4歳)の85年1月にデビュー戦を圧勝すると、4戦全勝で皐月賞を制した。左脚骨折でダービーは回避したが、秋に復帰すると菊花賞も勝って2冠馬となり、「幻の3冠馬」ともいわれた。

 2つ上にミスターシービー、1つ上にシンボリルドルフと3冠馬が立て続けに誕生して競馬人気が高まった時代。年末の有馬記念ではシンボリルドルフと激突した。史上最強馬の地位を築いていたルドルフにシンザンの後継者が挑む構図は大いに注目を集め、両馬はともに「単枠指定」となった。だがレースはルドルフの4馬身差2着に完敗。枠連160円は今もレース史上最低配当記録として残る。

 4歳時は天皇賞・秋、ジャパンC、有馬記念で全て3着など未勝利に終わったが、5歳で復活を遂げる。AJC杯、日経賞を連勝して臨んだ天皇賞・春も制し、G1・3勝目。これが最後のレースとなった。通算16戦9勝。全レースで柴田政人(現調教師)が手綱を取った。

 種牡馬としてはG1勝ち馬を輩出できず、02年に種牡馬を引退。谷川牧場で余生を送っていた。競走馬は30歳を超えれば長生き。95年にサラブレッド最長寿記録(当時)を更新した父譲りの丈夫な馬だったが、「最近足腰が弱ってきており、広い放牧地から厩舎そばの放牧地に移動していた」(谷川社長)と衰えが目立っていたという。同社長は「父に肩を並べるくらい長生きしてほしかったですが、残念でなりません」と名馬の死を惜しんだ。

 ◆ミホシンザン 父シンザン 母ナポリジヨオー(母の父ムーテイエ)牡32歳 美浦・田中朋次郎厩舎所属 馬主・堤勘時氏 生産者・日進牧場 戦績16戦9勝(重賞7勝)

 ▼サラブレッド最長寿記録 ミホシンザンの父シンザンは96年に死んだが35歳3カ月11日は当時のサラブレッド最長寿記録。なお、この記録は今年8月に長野県佐久市の元競走馬「シャルロット」によって更新された。

 ▼岡部幸雄元騎手 シンボリルドルフに乗っていた頃、ライバル意識を強く持たされた馬だった。ルドルフはミホシンザンより少し前で競馬をしていたので、競馬ではこの馬の位置取りが気になった。強いライバルがいたからこそ、ルドルフも強くなったと思う。

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