中嶋一貴 父超えへ歴史的開幕

[ 2008年3月15日 06:00 ]

ウィリアムズ・トヨタのドライバーとしてスタートを切った中嶋一貴

 ピケが、ロズベルグが、そして中嶋が疾走する。F1の08年初戦オーストラリアGPが14日に開幕し、ウィリアムズ・トヨタの中嶋一貴(23)が今季のスタートを切った。日本人初のフルタイムF1ドライバー中嶋悟・現ナカジマレーシング総監督(55)の父に続き、日本人最年少のフルタイムドライバーとしてデビューを果たした。85年生まれの同僚ニコ・ロズベルグ(22)、ルノーのネルソン・ピケJr(22)らとともに2世ドライバーの走りが注目を集める。

 父が最後のレースを走ったオーストラリアで、23歳の一貴が新たな歴史を刻んだ。雨中の戦いとなったアデレードでの悟氏の引退レース(91年11月3日)から5976日間の空白を経てNAKAJIMAの名がサーキットに帰ってきた。40度近い猛暑の中、1回目のフリー走行ではギアボックスにトラブルが発生し、走れたのは3周だけ。2回目もトップとは2秒518差の16番手だった。それでも一貴は「1回目はそんなに走れなかったけど、2回目はサーキットをしっかりとつかめた。自分のやるべきことはできた」と充実した表情を浮かべた。

 名門・ウィリアムズからフル参戦。一貴は史上10組目の父子F1ドライバーとして07年第17戦ブラジルGPでデビューし、今年念願のレギュラードライバーの座をつかんだ。同僚はくしくも同じ85年生まれで2世ドライバーのニコ・ロズベルグ。父は81年の年間王者ケケ・ロズベルグ(59)だ。今季は3度の年間王者に輝いたネルソン・ピケの息子、ピケJrもルノーから参戦と3人の“ジュニア”が名を連ねる。現在のF1シートは毎シーズン20前後であることを考えれば、他のスポーツカテゴリーより、2世が一線で活躍する割合は極めて多いと言っていい。

 国内のレース関係者は「レースの世界に入るのは敷居が高い。そこに、父親がいるということは想像以上に有利」と2世ドライバーのアドバンテージを指摘する。また、金銭面での負担が大きいモータースポーツ界にあって、2世であることは親の知名度が高い分だけスポンサー企業探しなどの資金集めがしやすいという側面もある。あるF1関係者も「政治家と同じことが言える。2世ドライバーは地盤がしっかりしているからね」と実情を説明した。6歳の時に引退した父に連れられてサーキットに足を運んだという一貴は「小さい時からモータースポーツが身近にあって、その中で育ったのは大きい。父がF1をやってたことで僕の目標の1人でした」と、父の存在が大きかったことを明かす。

 しかし、それはあくまでも“入門”に際してのもの。4度の総合王者に輝いたアラン・プロスト(53)、92年の年間王者ナイジェル・マンセル(54)ら、悟氏と同時期に活躍した名ドライバーの2世たちは苦戦を強いられているのが現実。F1のシートは血縁関係だけで転がりこんでくるものではない。「スタートが有利なだけであって、あとは本人の才能と努力しかない」と元F1ドライバーの片山右京氏(44)は語る。

 ホンダとの結び付きが強かった父に頼り切ることなく、高校時代にトヨタのスカラーシップを受けた一貴は、06年からユーロF3に参戦してF1の夢をつかんだ。05年10月11日に英国で行われたF3のオーディションでウエットからドライの難しいコンディションを冷静に難なくクリア。テストの緊張する場面でも物おじしない姿勢で大物感を漂わせ、トヨタ関係者は「成功できる」と確信したという。英語も高校時代から猛勉強し、南山大学外国語学部英米学科に進学。スタッフとのコミュニケーションも全く支障がない。昨季はF1の下部カテゴリーGP2(旧・国際F3000)に参戦して新人賞を獲得。ただ、未勝利でF1は時期尚早の声も多かったが、2月21日に13台が参加したバルセロナのテストではトップタイムをマークしてチームから信頼を得た。

 フランク・ウィリアムズ代表も「彼と契約をするのはやや賭けであることは分かっていた。しかし彼のテストでのペースはうれしい驚きだったよ」とコメント。一貴は「父(最高成績4位)を超えるにはF1の表彰台に立つこと。将来はアジア人初の年間王者になりたい」。ウィリアムズ創立30周年に、一貴が父超えとF1王者への道を踏み出した。

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2008年3月15日のニュース