【タテジマへの道】岩貞祐太編<下>地獄の石段で感じた責任

[ 2020年4月30日 15:00 ]

11年日米野球で(後列左から)野村、藤岡、菅野と記念写真に納まる岩貞(前列)

 スポニチ阪神担当は長年、その秋にドラフト指名されたルーキーたちの生い立ちを振り返る新人連載を執筆してきた。今、甲子園で躍動する若虎たちは、どのような道を歩んでタテジマに袖を通したのか。新型コロナウイルス感染拡大の影響で自宅で過ごす時間が増えたファンへ向けて過去に掲載した数々の連載を「タテジマへの道」と題して復刻配信。第9回は13年ドラフトで1位指名された岩貞祐太編(下)を配信する。

 残された時間は少ない―。祐太の目の色が変わった。もう、チームメートを裏切れない思いが胸を支配していた。エース陥落の原因となった春の県大会・城北戦でコールド負けを喫した試合後、西田監督は自身が運転するバスにナイン全員を乗せて3333段を誇る日本一の石段・釈迦院御坂遊歩道に連れて行き、何度も石段を往復させた。

 「みんなが石段を登っている時につらい顔をしてて…。これは僕のせいだなと思ったんです。もう一度、みんなに認めてもらうしかないと」

 仲間からの信頼、そして自信を取り戻すべく、祐太はより一層、練習に打ち込んだ。西田監督とは二人三脚でフォーム修正にも着手。「今までは投げるほうの左手のことばかり気にしていたんですが、右手でカベを作るように教えられて、それを意識するとコントロールがまとまり始めました」と手応えをつかんでいった。

 「(2年の)田中に抜かれた時は落ち込んだところもあったんでしょうけど、そこから本当に練習をよく頑張った。夏が近づいてくると急激に伸びてきましたから」。西田監督も驚く祐太の快進撃が始まった。

 6月の練習試合で鳥栖を相手に完封勝利を挙げると、翌週も完封。チームメートからは自然と「夏は岩貞じゃないと勝てない」という声も聞こえてきた。何よりも欲しかった信頼を勝ち取った。背番号「11」のエースとして再びチームの中心に戻ってきた祐太は、集大成となった最後の夏の県大会も光り輝いた。

 初戦から順調に白星を重ね、4回戦では春にコールド負けを喫した因縁の相手・城北に7│0で完勝しリベンジ。準々決勝の秀岳館戦では後にDeNAに入団する国吉にも投げ勝った。準決勝で熊本工に敗れ、甲子園出場は夢に消えたものの、次なるステージは、はっきりと見えていた。

 3年春に、全国各地の高校生を視察中だった横浜商大・佐々木正雄監督(65)が必由館を訪問し祐太の投球を見ていた。「細かったけど、ピッチャーらしい体形でね。その場でスライダーを教えたら(夏の大会で)4つも勝っちゃってね。新聞で結果を見るたびに、うちに来てくれるのか心配になってた」。佐々木監督の心配をよそに、祐太は横浜商大への進学を心に決めていた。

 母・多恵子さんと高校卒業後の進路について話し合った時、力を込めて言った。「関東で野球がしたい。どうせダメになるなら、九州でダメって思い知るよりも、関東に行って思い知らされたい」。熊本出身の無名左腕の“下克上”が始まろうとしていた。

 発表された横浜商大野球部の新入生一覧を見て、祐太と母・多恵子さんは言葉を失っていた。甲子園出場経験者がほとんどで「岩貞祐太」の名は“浮いていた”。「公式戦で1勝できたら良いかな、ぐらいに思ってましたね」。目標は限りなく小さかった。

 同期生だけで投手は10人以上いた。「ブルペンに入る順番も自分はいつも最後の方で、悔しい思いもありましたけど、当然だと思って。結果を出していくしかないと」。その決意は、いきなり実を結ぶことになる。1年春のリーグ戦の最終試合に8回から中継ぎとして、公式戦初登板すると、延長13回まで投げ切って初勝利を手にした。

 「1勝したら、もう1勝、もう1勝と欲が出てきました。バッター1人1人をとにかく抑える意識でいきました」。礼儀作法など、人間としてのしつけも厳しく指導してきた佐々木監督のもとで、祐太は精神的にも強靱(きょうじん)になっていった。

 2年春にはリーグ戦で5勝1敗、防御率0・93をマークし最優秀投手賞を獲得。第38回日米大学野球選手権の代表候補合宿に招集された。メンバーを選抜する紅白戦では2死満塁、フルカウントから投じた1球は自己最速を更新する144キロ、見逃し三振に打ち取り、代表入りを勝ち取った。

 日の丸を背負った期間は収穫の毎日だった。菅野(東海大→巨人)、藤岡(東洋大→ロッテ)、野村(明大→広島)…。「一流のピッチャーはキャッチボールの1球であっても指先までしっかり使って投げていて、ボールを握った状態で雑なことが全くなかった」。投手としてのあるべき姿を目に焼き付けるだけでなく、プロ入りを強く意識した瞬間でもあった。

 代表戦後に一時スランプに陥ったが、4年秋には6勝を挙げて、最優秀投手賞とベストナインを獲得。大学屈指の左腕に成長を遂げた祐太は社会人チームから10社以上の誘いを受けた。「社会人野球の試合も見てきて、レベルの高さは分かっていたんですが、やっぱり最高峰のプロで勝負してみたい」。迷いなくプロ志望届を提出した。

 そして、10月24日│。阪神からドラフト1位で指名を受けた。決して平たんでなかった祐太の野球道が、プロ野球という最高の舞台につながった。「人間性であったり、成績を残すことであったり、そういうところからチームの信頼を得られる投手になりたい。支えてもらってる方も大勢いるので、活躍して恩返ししたいです」。猛虎のエースになる│。これが、岩貞祐太の運命(さだめ)だ。
 (13年10月31日、11月1日付掲載、あすから高山俊編)


 ◆岩貞 祐太(いわさだ・ゆうた)1991年(平3)9月5日、熊本県生まれ。小4で野球を始め、必由館では1年秋からベンチ入りも甲子園出場はなし。横浜商大では2年夏に日米大学野球に出場。2年春と4年秋に最優秀投手賞を獲得するなどリーグ戦通算25勝。最速148キロに鋭く曲がるカットボール、スライダーなどを操る。背番号17。1メートル82、78キロ。左投げ左打ち。

続きを表示

2020年4月30日のニュース