内田雅也が行く 猛虎の地(14)新京/大連(旧満州) 「幸さん」が結ぶ「球縁」「奇跡」

[ 2019年12月15日 08:00 ]

1940年7月26日、神戸港から吉林丸に乗り、満州に向けて出発する選手たち=『タイガース30年史』=
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 【(14)新京/大連(旧満州)】

 西村幸生はプロ野球2年目の1937(昭和12)年、38年とタイガースを2年連続日本一に導いた大エースである。「惜しまれるうちに」と39年限りで退団し、満州(現中国東北部)に渡った。新京(現長春)の実業団・新京電電に移った。

 岡本利之は捕手として西村と関大でバッテリーを組んだ後輩である。西村を「幸(こう)さん」と呼んで慕っていた。

 岡本はプロ野球・ライオン軍から陸軍に入隊。40年、新京に渡った。プロ野球が紀元二千六百年奉祝として満州で公式戦を行った年である。

 岡本は41年春、児玉公園野球場で西村が投げている姿を見かけた。後に順天公園の先にあった社宅を訪ねて再会する。岡本の著書『白球と共に』(改訂版=米子東高勝陵野球クラブ)にある。

 「死ぬまで会えんかもしれへんと思うてた。悪縁尽きずだ」と西村は喜んだ。新京で家族ぐるみの交流が続いた。

 43年夏、児玉球場で横綱・前田山率いる力士チームと岡本が主将の軍人チームの国防献金試合があった。馬車(マーチョ)で駆けつけた西村は職が変わり、大連に転居するという。新住所が記された名刺を岡本に手渡し、去って行った。<思えば、この世で幸さんを見た最後であった>。

 44年、岡本も大連に転属となり、名刺にあった小村公園前、テイチクビル2階を訪ねた。すでに西村はなく、赤紙が来て3月に召集されていた。

 以後も西村の妻・末子と3人の娘、岡本夫婦と1人の娘の交流は続いた。戦地の西村を案じる大人たちとは別に<仲良くなった子供達は隣の部屋で遊んでいる。「かーごめ、かごめ かーごのなーかの鳥は いついつ出やる」――>

 仲良くなった娘同士がともに「奇跡」だという再会を果たしたのは2015年6月だった。父の足跡をたどっていた西村の長女・ジョイス津野田幸子(81)が関大関係者を通じ、岡本の長女・衣笠協子(78)を探し当てたのだ。70年ぶりに会った2人は「かごめ」で遊んだことを覚えていた。野球を通じての「球縁」だと語った。

 今年9月20日、そろって甲子園を訪ねた。監督・矢野燿大にも会った。阪神は翌21日から6連勝でシーズンを終え、逆転でクライマックスシリーズ(CS)進出を決めた。彼女たちは「奇跡は起きる」ということをチームに伝えていたのだ。

 西村は公報によれば45年4月3日、フィリピン・バタンガスで戦死したとある。岡本は戦後、米子東高監督として60年選抜で山陰勢初の決勝進出に導いた。=敬称略=(編集委員)

 <休載案内>「内田雅也が行く 猛虎の地」は16日付から休み、23日付から再開いたします。

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