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2020年東京五輪!「オールジャパン態勢の勝利」だ!

[ 2013年9月9日 06:00 ]

2020年五輪の開催都市が東京に決まり、笑顔で写真に納まる安倍首相(前列右から3人目)ら

 オールジャパン態勢で56年ぶりの東京五輪を勝ち取った。国際オリンピック委員会(IOC)は7日(日本時間8日)、アルゼンチンのブエノスアイレスでの総会で、2020年の夏季五輪開催都市を「東京」に決定した。IOC委員による1回目の投票でライバルと見られたマドリード(スペイン)が落選。イスタンブール(トルコ)との決選投票では、東京が60―36で圧勝した。1964年以来、2度目の開催となる東京五輪は、20年7月24日に開幕する。

 安倍晋三首相は立ち上がった。フェンシングの五輪銀メダリスト、太田雄貴が号泣している。滝川クリステルは冷静なイメージをかなぐり捨てて、拳を振り上げた。ブエノスアイレスで招致関係者は抱き合い、握手し、雄叫びを上げた。総会会場の一角は、歓喜だけに包まれた。

 「TOKYO 2020」

 そうとだけ書かれた紙をIOCのジャック・ロゲ会長が示した瞬間、全ての苦労が報われた。09年、40億円以上を費やして16年五輪招致に失敗してから4年。批判覚悟の再挑戦は、絶対に失敗は許されなかった。最終的に勝利を導いたのは、この危機感だった。

 勝因は、日本サッカー協会最高顧問・川淵三郎氏が言う「政財界を巻き込んだオールジャパン態勢の勝利」だった。4年前は都庁と日本オリンピック委員会(JOC)が主導権争いをし、政財界の関心も薄かった。国民の支持率も低迷した反省があった。

 今回の招致レースを、招致委員会の竹田恒和理事長は「人生を懸けた戦いだった」と振り返る。元トヨタ自動車社長の張富士夫氏ら財界の重鎮を招致委員会に巻き込み、02年のサッカーW杯招致関係者をスタッフに迎えた。「五輪」の枠を超えた人材を広く集めた。

 それでも、危機はあった。11年3月の東日本大震災からの「復興五輪」を掲げると、震災を利用していると批判された。これを救ったのが、ほかならぬ五輪選手たちだった。自主的に被災地を訪れ、支援活動に動いた。東京五輪招致の足元は逆に固まっていった。

 弱点といわれたロビー活動でも、竹田理事長が自ら奮闘した。この1年だけで約50カ国、地球10周に相当する距離を移動した。招致委の水野正人専務理事は「涙ぐましい努力だった」と言う。そして、決定打となったのが、昨年12月の安倍晋三氏の首相再就任だった。

 64年東京五輪招致に関わった岸信介元首相を祖父に持つ安倍首相は、国内外で積極的に協力を呼びかけた。東京電力福島第1原発の汚染水漏れ問題についてIOC委員に質問されると「汚染水は港湾内0・3平方キロでブロックしている。決して東京にダメージは与えない」と力強く答えた。

 「未来(あした)をつかもう~ディスカバー・トゥモロー」

 招致委が掲げたスローガンは、言葉通り、未来につながった。安倍首相は「(経済政策の)第4の矢の効果はある」と経済成長を約束し、スポーツ界にとってもスポーツ庁の設置をはじめ、多くの効果が期待される。日本全体にとって「希望」となりうる五輪だ。

 東京五輪開催の是非を議論する時は終わった。7年後、東京五輪は確実にやってくる。滝川クリステルはスピーチで「おもてなし」という日本語を紹介した。世界の信頼を得て手にした「2020年東京五輪」で、今度は世界の人々を出迎える準備が始まる。

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2013年9月9日のニュース