【追憶の安田記念】トロットサンダーが14センチ差激闘制した96年 横山典にとっても忘れられない1勝に

[ 2023年5月31日 07:00 ]

96年の安田記念。ゴール前、壮絶な叩き合いの末、トロットサンダーが勝利した
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 ダービーはゴール前4頭の大接戦となった。さて今現在、接戦の名勝負をファンに挙げてもらうとして、このレースは入るだろうか。1996年6月9日、第46回安田記念。お忘れの方も少なくないと思われるので、いま一度振り返っておきたい。まごう事なき平成名勝負の一番、ヒシアケボノ、タイキブリザード、トロットサンダーの3頭がきわどく争った。

 「ほかに行く馬がいなければ逃げようと思っていた」とヒシアケボノ騎乗の角田晃一騎手。スプリント戦で常に先行できるダッシュ力があり、2番枠もおあつらえ向きで「遅くもないし、速くもない。ちょうどいい感じ」と注文を付けながらの逃げで、前半1000メートル57秒6。残り600メートルから少し緩めて12秒台のラップを刻んで、そこから再加速。前年スプリンターズS覇者の術中にはまったかのごとく先行勢の多くが伸びない。

 先行勢で唯一脚を残していたのがタイキブリザード。前年安田記念3着から、宝塚2着、ジャパンC4着、有馬2着と距離問わず好走を続けた堅実派。「未冠のタイキ」という異名とともに愛されたが、陣営としては当然実力にふさわしいタイトルがほしい。粘るヒシアケボノを土俵から押し出すがごとく力強くつかまえにかかる。

 その外を一気に伸びてきたのがトロットサンダーだ。当時の馬齢表記では8歳(現7歳)の古豪。タイキブリザードがヒシアケボノをかわし、初タイトルに手をかけたところで古豪の大技が飛んできた。タイキブリザードもかわされてなるかと差し返す。14万人の観衆はゴール前の攻防に大歓声を上げる。ゴールを過ぎても観衆のどよめきは鳴りやまない。

 脚勢と見た目はトロットサンダー優位だったが、写真判定の結果が出るまで時間がかかった。引き揚げてきたトロットサンダーと横山典弘騎手に「おめでとう!ノリ!」とファンからの声が飛んだ。横山典は自分を指さし「オレが勝ったの?」とばかりに首をかしげた。そのまま人馬が地下馬道に姿を消し、ようやく電光掲示板が「12、8」の順で点灯。トロットサンダーの勝利だ。

 「本当に勝てたかどうか自信はなかった」と横山典。差は14センチ。この差で、タイキブリザードの岡部幸雄騎手はうなだれながら引き揚げてきた。岡部は分が悪いと感じていた。「勝たなきゃだめなんだよ」と、かぶりを振った。

 トロットサンダーは斜陽を心配される馬齢で、前哨戦の京王杯SCも3着に敗れていた。それでも1番人気になった。もちろん前年マイルCSを制した実力も評価されたが、それだけではない。

 その前段として、横山典は2週前のオークスで、騎乗したノースサンデーが蛇行したため2日間の騎乗停止処分を受けていた。当時は騎乗停止が翌週から適用されたため、ダービーは騎乗馬(サクラスピードオー、蛯名正義騎手で5着)がいたが乗り替わり。「悔しかったし、迷惑をかけてしまって情けなかった」と横山典。そうした背景がある中、トロットサンダーの安田記念最終追い切り後「前走(京王杯SC3着)はコース取りのミス。自分さえうまく乗れば安田記念を勝てる」とV宣言。悔しい思いを募らせていた横山典が、自らを鼓舞すべく背水の陣を敷いたのだ。これにはメディアも大いに盛り上がり、人気を押し上げた一因となった。

 岡部が“分が悪い”とみなした接戦を、横山典が自信を持てなかったのは、それだけこのレースに意気込んでいたゆえ。横山典は「僕の騎手人生の中でも、忘れられない意義のある1勝です」と激闘を制したトロットサンダーに最敬礼した。

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